創作物(小説・映画・ゲーム)におけるパーソナル分析。 | 古民家の雑貨屋 アート工房 風 ふうさんの手しごと日和

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隠れ家的な工房の日々の暮らし、ちょこっとのぞいて見てくださいな。

パーソナル進化論(仮説)の研究を続けて行くと、

ついつい様々な人のパーソナルは何か?

と観察をしてしまいます。

 

TVを見ていても出演者のふとした一言で

『ああっ、この人は王妃パーソナルだな~。』とか・・・

『この言葉が出るということは、この人は

帝王パーソナルか~。』とか・・・

 

しまいには、韓国ドラマを見ていても、

海外映画を見ていても、ついつい登場人物

のパーソナルと、その相関関係を考えてしまいます。

 

そして・・・

 

まさにこの関係性だからこそ、

息子がこう育つよね!・・・とか

 

やっぱり、謀反が起こる背景にはこうした

パーソナルとの組み合わせがあるのか!・・・とか

 

そんな分析をしてしまいます。

 

 

最近気になって見ているのが、NHKで

日曜日にやってる『アンという名の少女』。

 

赤毛のアンのドラマ化なんだけど、

登場人物をパーソナル分析していくと

恐ろしいほどぴたっぴたっと法則にハマる。

 

『そうそう、そのパーソナルなら、絶対に

その場面ではそう言うわ!』

 

『あれ?これ史実じゃないよね。

原作は創作だよね?』

 

そう思えるほど緻密に登場人物の

パーソナル設定が出来ていて驚きます。

 

最初は、この作品を演出した人がすごいのか!

と思っていました。

 

いや、原作を読み込んでの演出なのだろうから、

そりゃ演出家の腕もすごいのでしょうが・・・

 

原作・・・原作よね・・・

 

原作者が、この物語を書いた時代に

今ほど詳しい心理学の研究書が発行されていた

とは思えない。

 

現在に生きる私でも、これだけのパーソナルを

調べるのに何年もかかっているのだから・・・。

 

あの時代の人が一つ作品を書き上げるために

それほどパーソナル研究をしているとは思えない。

 

けれども恐ろしいほど、パーソナルの相関関係が

ある一定の法則に基づいて書かれている。

 

 

そう考えてみると、ゲームのキャラクターも、

映画も、ドラマも、よくできている作品や

人気が出る作品は、パーソナルの法則性が

がっちりハマります。

 

シナリオライターはすべて、私のような

パーソナルの研究をしているのでしょうか?

 

それは違うでしょう。

 

おそらく・・・おそらく・・・ですが

 

ヒットを生み出すような人気作家や

時代を超えて読み続けられる名作の作者は

『感覚的にパーソナルの法則性を理解している』

のではないでしょうか?

 

このパーソナルとこのパーソナルが出合うと

こうしたトラブルが起こりやすい・・・とか

 

このパーソナルだから、この子を育てられた・・・とか

 

理論としてのパーソナル展開は知らなくとも

『感覚的に』これを理解している。

 

あるいは無意識に周囲の人の(モデルとなる)

パーソナルの分析をしている。

 

反対を返せば、これが解っていないシナリオ

ライターや作者は『ヒット作を生み出せない!』

 

数ある作品の中で、映像化されて、ヒット作に

なるような作品は、必ずそうしたパーソナルの

法則性が存在している。

 

それを感覚的にキャッチ出来ていない作家は

ヒット作品を生み出せない!

 

カリスマと呼ばれる作家たちは、パーソナルの

法則性を感覚的に理解し、無意識でそれを

作品に使っている。

 

 

なるほど・・・

 

その感覚が無い人が、原作をいじるから

めちゃくちゃなキャラ設定になるのか・・・

(これは経験があるわ~・・・やられたから・・・)

 

このパーソナルのキャラなら、この場面で

絶対にこのセリフは言わない!ってことを

言わせようとするアレンジャーはクソだな!むかっ

って思っていたけど、パーソナルの法則が

感覚的にわかっていない・・・のか・・・。ガーン

 

こういう人は、人の感情にも鈍感で

人の気持ちがわからないのよね・・・。チーン汗

 

こういう人が手掛けたら、作品がヒットしないのは

いうまでもないよね・・・。ビックリマーク

 

反対に言えば、パーソナルの法則性が

解っていない人は、こうした作品作りに

関わってはいけないね・・・。むかっ

 

 

アンと言う名の少女・・・

 

アンの描写を見ていると、王妃パーソナル

 

「賢すぎるほど賢い!・・・変わった子だけど・・・」

とレイチェル婦人が言うように、彼女はおそらく

高機能のアスペルガー

(それもおそらくギフテッド・・・高知能)

 

特権階級(お姫様)に憧れがあり、

特別な何かに対するこだわりがある。

 

芝居をしているかのような大げさな表現。

立て板に水のごとく、しゃべり続ける。

 

感情の起伏が激しく、はしゃいだり

落ち込んだりと豹変が激しい。

 

こうと決めたらテコでも動かない頑固さ。

意地っ張りで、負けず嫌い。

 

うたれ弱いところがあり、凹むと引きこもる。

空想の世界に逃げ込みがち。

 

これらの特徴的な行動パターンから、

王妃パーソナルの上に、ギフテッドが重ね着

状態ではないか?と推察する。

(違っていたらごめん!原作は読んだことが無いから・・・)

 

マシューが聖者パーソナル、

おそらく妹のマリラが、農耕民族パーソナル。

(ウチの両親と同じ組み合わせだ・・・

なるほど、よく似てる・・・)

 

アンとマシューとの相性はいい。

 

いやむしろ、アンのあの特異な性質は

聖者パーソナルのマシューでなければ

受け止められない。

 

幼いころの過酷な環境から、下手をしたら

アンは解離性同一性障害(多重人格)

なっていてもおかしくない。

(ドラマの演出を見る限りでは・・・)

 

行き過ぎた空想癖、都合が悪いことは

うそをついてでも切り抜けようとする。

 

一つことに夢中になったら、頼まれたことを

忘れてしまうシングルフォーカス

 

そうかと思えば、一度読んだ消火の手引きを

覚えていて、いざという時には、危険を顧みずに

火の中に飛び込んでしまう。

(夢中になったら、危険への認識が欠落

 

この物語で重要なのは、マリラの性格。

 

農耕民族型特有の見識の狭さ、堅苦しさ、

ルールや世間体を重んじる気持ち、自分が

完璧でないと思った時の落ち込み方、

そして、悪いと思っていながら、なかなか素直に

「ごめんなさい」が言えない意地っ張りなところ。

 

厳格で厳しい印象がありながらも、

情がある一面も見せるマリラ。

 

本来なら、農耕民族パーソナルの母と、

王妃パーソナルの娘は、水と油の相性

この性質の親子がうまく機能することは

考えられないが、物語が進むにつれ・・・

つまり、アンと関わっていくにつれ、

マリラに変化が現れる。

 

農耕民族と同じB群の中の聖女パーソナル

顔を出し始めるのだな・・・。

 

聖女パーソナルをインストールしたマリラ

やがて特異な性質を持ち合わせたアン

受け入れ、理解し、応援していく。

 

後におそらく、結婚する相手となる

ギルバートは『帝王パーソナル』。

 

王妃パーソナルが唯一おさまりがいい

結婚相手だと思う。

 

そして、アンの職業は『教師』。

 

当時、女性教師と言うのは数が少なくて

自立して仕事を持つ女性は当時では

『特別な存在』になりえただろう・・・。

 

それに、人の上に立って『教え導く』

のいうことも好きな王妃パーソナルには

最高の職業かもしれない。

 

教師・・・学校・・・という特殊な社会なら

彼女のギフテッドの特異な行動は目立たず、

むしろその高知能はいい方向で生かされる。

 

アンを『教師』にまで押し上げることが出来たのは、

マリラの『人格的な成長』があってこそ。

 

年が行くまで兄妹で暮らしてきた二人。

 

マシューの性格ゆえに、妹のマリラの

癇癪も、気難しさも受け止めてきた。

(反対にいえば、マシューでなければ成立しない)

 

自分の持って生まれたパーソナルだけを

何の疑いもなく生きていたら、おそらくマリラの

人格的な成長は望めなかった。

 

水と油の関係の孤児アンを手違いから養女に

迎えたことで、マリラのパーソナルの熟成が始まる。

 

 

友人のレイチェル婦人がおそらく、

吟遊詩人パーソナル

 

噂話が好きで、悪気はないけどついぽろっと

本音を言ってしまう。

 

あまり物事を深刻に考えず、物事の

良い面を見て行こうとする。

 

楽しいことが好きで、側にいるとほっと

人をなごませ、世話好きな面もある。

(時にはそれがおせっかいになることも・・・)

 

完璧主義で厳格、横着が出来ない

農耕民族パーソナルにとって、

この吟遊詩人パーソナルは息抜きや

人生の楽しみを教えてくれる好相性な

パーソナル。

 

間逆に見える性格だけれども、吟遊詩人

パーソナルは様々なパーソナルを嫌ったり

仲間外れにしたりしない、フレンドリーなパーソナル。

 

自分からは友達を作りに行こうとしない

農耕民族パーソナルにとっては、重たいドアを

こじ開けて自分を外へ外へと連れ出してくれる

素晴らしいパートナー。(友人関係としては・・・)

 

こうした脇を固める人物とのパーソナル

関係を見て行くと、この『アンと言う名の少女』

という作品は実によくできている!ということになる。

 

原作通りなら、アンはこの後、

教師になるだろう。

 

もしも、アンが引き取られた先が、

同じような王妃パーソナルの自己愛過多な

養母だった場合・・・

 

おそらく、アンは『狂人』として一生

精神病院に放り込まれたか・・・

 

変な宗教に入信して帰ってこなくなるか・・・

 

アンが現在に生きて無くてよかった・・・と思う。

 

あの性格だと、現代なら確実に

『スピリチュアルビジネス』に手を出してる!

(へたすりゃ、狂信的なカルト集団の教祖だ・・・)

 

いや、マリラが『成熟』へ向けて成長してくれるほど

人格的に優れた根本を持っていてよかったと思う。

 

少なくとも『特異なアン』の性質捻じ曲げることなく

『ありのままのアン』を受け入れる努力をしている。

 

それはむしろ『血のつながりがない』から

出来ることなのかもしれない。

 

 

日本の長女『農耕民族』

『王妃パーソナル』が非常に多い!

 

どちらに分かれる理由は、もう少し

統計を取って見ないと分からないが・・・

 

おそらく・・・おそらくだけれども・・・

 

母親のパーソナルによって決まる!

のではないか?と思う。

 

つまり、母が『農耕民族』なら長女も『農耕民族』になり、

母が『王妃』なら長女も『王妃』になる傾向が強いのでは

無いかと思う・・・。

(教祖の劣化版コピーになる信者と同じ理論ではないか?)

 

農耕民族母子の場合、娘は墓守娘になりやすく、

王妃母子の場合は、毒母と毒娘になりやすい・・・。

 

ちなみに、次女は吟遊詩人タイプが多いな~という感想。

 

母が農耕民族でも、男性性が強ければ長女は

賢者パーソナルに変異する場合もある。

(聖女パーソナルに男性が少ないのと同じように、

賢者パーソナルも女性には少ない。数少ない私の周辺の

女性賢者パーソナルを見る限り男っぽい人が多い。)

 

女性でも帝王パーソナルになる長女の場合は

母親が戦士パーソナルの場合が多い。

 

こうしたデーターも元に法則性を見て行くと、

どこに親子関係(母子関係)の問題点があるのか?

が良く解るようになる。

 

ちなみに、母親と同じパーソナルを持つと、

そのパーソナルの欠点は濃縮されて

子供の方に出やすい。(劣化版コピー)

(・・・というのが統計を取って見た私の感想)

 

例えば・・・

母親が吟遊詩人パーソナルで、次女が

同じく吟遊詩人パーソナルな場合、

仕事に安定性が無く、定住せずあちこちを

フリーターでぶらぶらするというような娘に

仕上がりやすい・・・。

(母親は結婚して定住しているが、娘はふらふら)

 

 

それぞれの特性を知った上で、

お互いの住処を分けたほうが良い母子もあれば

同じ船に乗っても問題にならない親子もある。

 

パーソナルを知れば、結婚相手に良い相性も、

不倫に陥りやすい相性も分かる。

 

キラキラ落ちぶれ女子がスピリチュアルビジネス

に手を出し、挙句の果てに不倫して出奔。

 

ツインレイがどのこうの言いながら、似たような

境遇の信者を募っているのを見ると、

背景と問題点がパーソナル分析で解説出来る。

(霊能力など無くてもね・・・)

 

 

こうしたパーソナルの分析を続ければ

続けるほど、人間は何種類かのパーソナルに分かれ、

恐ろしいほどの法則性のなかで

同じパターンの行動を繰り広げていることが解る。

 

洋の東西、時代を問わずに・・・だ・・・。

 

これをもはや、『何者かのプログラミング』

と言わずして何と言うのか?

 

だって、私たちが創造物を作るとき・・・

やはり同じ法則に基づいて、その『世界』

を創造しているのだから・・・。

 

その法則が解っていないで作られた作品は

ヒットすることが無い!

 

みんなに人気のゲームやアニメも

おそらく分析していくと、ちゃんと

その法則性にしたがっているはず!

(時間があるときに考察してみよう・・・)