もうすぐお盆ですなヒマワリ

 

高橋ナナですオカメインコ

 

 

気がついたら、1週間も、

ブログをお留守にしておりました滝汗

 

 

最近、いろんなことに興味がありすぎて、

大変なことになってるー笑い泣き

 

 

 

初めは、パーマカルチャーで、

ライフデザインをしようとして、

あれこれ考えて、

 

そしたら自然農法学びたくなって、

 

それを試す畑が欲しくなって、

 

畑が遠いと絶対行かなくなるから、

畑付きの土地が欲しくなって・・・

 

 

 

地球の自然についても、

本当に一から学んでる感じで。

 

 

私、本当に自然のことを何も知らなかった!

 

 

特に、土、自然の循環のこと。

 

 

 

土地を買ったとしても、

畑にする土は自分で作ってみたいし。

 

 

 

自然を学ぶと、

私たちは、

本当にすごい惑星に住んでるってことを思い知らされる。

 

 

 

こんな凄いところに住んでるんだから、

社会システムや経済システムの中でだけ生きてるのはもったい無いし、

 

「私」っていうものに縛られて生きるのも、

本当にもったいない。

 

 

 

社会、経済、私・・・

本当によくできた幻想だなって、

 

その渦中に巻き込まれちゃうと、

全然楽しめないけど、

 

少しだけそこからはみ出てみると、

こんな面白いことはない。

 

 

 

私はセミナーとかでもよく言うのですが、

日本でよくある「スピリチュアル」って、

好きじゃなくてねぇ・・・。

 

 

幻想や概念を増やしまくって、

エゴ爆造機になってる感じが否めないと言うか。

 

 

なんというか、当たり前のことを、

当たり前じゃないように、

特別な何かのように祭り上げてる感がどうも苦手で・・・

 

 

 

人の感情の複雑さとか、

私にはわからないし、

 

 

結局「ない」ものを、

「ある」ってことにして遊んでるようにしか見えないというか。

 

 

 

特別なことなんてなんも必要なくて、

ただ目の前にあることを、

そのまま見て、

 

湧いてくる感情をそのまま感じて、

 

ヘェ〜そうなんだねにやり

 

ってなれる感覚が育てば、

全部が終わるんだよね。

 

 

あえて言葉にするなら、

メタ認知ってやつや。

 

・・・・ってここまで書いて、

 

ヒロルが「ママ待ちなんだけど!」ってうるさいから、

(うちの実家でBBQするんだと)

 

以下、こないだFacebookに書いた投稿貼っておきますあせる

 

 

・・・・・・

 

 

アメブロ書こうとしたら、2年前の記事が上がってきてて。

 

 

本当に思うんだけど、

そして言葉にするのは難しいんだけど、

 

誤解を恐れずに言えば、

 

 

私はなぜ多くの人が、

そんなに真剣に生きてるのかがわからないのです。

 

 

真剣というより、

「深刻」と言ったの方が言葉的には近いかな。

 

 

 

いや、私も決して、ふざけて生きてるわけではないし、

深刻に生きることをバカにしてるわけでももちろんないんですが、

 

何というか、中立にいうと、

そこまでがっつりハマりきれないというのかな・・・

この「世界」とか言われてるものに。

 

 

目の前の現実や、湧いてくる感情や、

たくさんのドラマ。

 

 

リアルに見えるし、感じれるけど、

私にはやっぱり、どうしても、

ずっと映画を見てるような感覚というか。

 

 

そもそもが、テーマパークにいるような感じというか。

 

 

ずっとそんな感覚だから、

みんなそうだと思ってたけど、

どうやら違うらしい、ということは、ここ数年でわかったけど。

 

 

 

それでも、深刻にはなれない。

いつからかははっり覚えてないんだけど、

多分30代前半からかななぁ・・・

 

 

自分が「現実」というものの反応で、

本当に悲しくて泣いてる時でさえも、

やっぱ映画見て泣いてるのとあまり変わんない。

 

 

 

だって、本当は何もないからさ。

 

「宇宙」すらないんだもんよ。だって。

 

 

「宇宙はあります」とか、

「宇宙はないです」っていう考え方があるだけでさ。

 

 

 

だけど、「宇宙」だの、「人間」だの、「魂」だの、

「宇宙人」だの、「お金」だの、「悩み」だの、

「コロナ」だのがある!

という設定のテーマパークみたいなところに私たちは今いて。

 

 

 

その設定の中で、

みんなが「人生」って呼んでるものを、

ひたすら「体験する」っていうことが、ただ起こってる。

 

 

 

でもこの感覚だと、何の話もできないから、

「設定」を前提にすべて「便宜上」話してるわけで。

 

 

じゃ、宇宙は嘘か?魂は嘘か?コロナは嘘か?って言われると、

それもまた嘘じゃない。

 

 

この設定の中では、「ある」ってことになってるから、

この世界では「本当」。

 

 

これさ、こういう話、

取りつく島がないし、全く方向性のない話だから本当に嫌いなんだけど、

 

でも、「人生」に「深刻」になって「悩んで」いる人と会うと、

いやいやいや、でも大丈夫なんだよ。ってすごい伝えたくなる。

 

 

でもそんな人に、

 

「今さ、テーマパークの中で、自らお化け屋敷入ってキャーキャー怖がってるんと一緒やん?」

 

って言ったって、

 

鳩が豆鉄砲食らったみたいな顔されるだけやん?

話通じないやん?笑

 

 

せっかくお化け屋敷楽しんでるのを、

水差すのもあれだし。

 

 

 

だから私は、

このテーマパークの設定自体からは、はみ出さないように、

その人が「悩み」ということにして、

深刻になっちゃってるお化け屋敷から出てくるのを、

大丈夫大丈夫!ってニコニコしながら、待ってるしかない。

 

 

 

その人が言う「問題」とやらが、

「解決」すればいいね!って、言うし、

解決するように手伝う。

 

 

 

そもそも本当は問題なんてもの自体がないんだから、

ないものを解決するなんて到底できないけど、

それでも、そのドラマの中で便宜上私はそう言う。

 

 

だって、どっかの遊園地で、

自分で入ったお化け屋敷に何年間も深刻に悩む人いる?

嫌なら出りゃいいじゃん?

 

 

だけど、そうも行かないのだそうです。

 

 

そして、ほとんどの人は、

今「お化け屋敷にいる」ってことすら、

しかも好き好んで「自分で入った」ことすら気づいてない。

 

 

そもそも入ってることに気づいてないから、

出ることもできないし、

「出よう」という気にもならない。

 

 

なんて不毛な世界なんだ!って思うんだけど、

そもそもがこう言う、

不毛さや不便さみたいなのを体験する壮大なゲームなんだから、

マジでどうしようもない。

 

 

超絶不便な僻地を旅してる時とよく似てる。

 

自分で選んでその場所に行ってるのに、

お腹すいたとか、治安悪すぎとか、暑すぎるとか、ご飯がまずいとか、文句言ってる時と同じ。

 

嫌なら帰国すればいいだけなのに、

やっぱ楽しいから、なぜか旅を続ける、あの感じ。

 

 

 

でも、もし、旅してること自体を忘れて、

ガチでこの場所しか自分の居場所がないとか思ったら、そりゃー深刻に悩むだろうよ。

 

 

でも、旅してるってわかってるから、

「ぎゃー飯がまずいーーーー!!!」って大笑いできるんだよね。

しかも現地の人は美味しそうに食べてる。

本当に、これと一緒。

 

 

だから、自然に気づくまで、変われないし、変わらなくていいんだよね。

 

 

私の頭が狂ってるのか、

相手が狂ってるのか、

それとも両方なのかはわかんないけど、

 

もし私が狂ってるだけなら、狂ってる世界の方が、

だいぶ気楽だわ、って思った今日この頃なり。

 

 

どうせ、ただでっち上げられた世界なんだから、

せめてお化け屋敷じゃなくて、

違うの作ればええやん?とも思うんだけど、

まーこんなの、全く伝わらない 笑

 

 

なので、ゲームの中にいるんだから、

やることは、ゲームを粛々と進めることだけであります。

 

 

キャラクターとして。

それを動かすプレイヤーとして。

その世界の設定を作ってるゲーム作家、プログラマーとして。

 

 

3つを一気にやれるこの人間ゲームは、

マジでどんなゲームより楽しいから、

私は人生の中で、例えば任天堂とかみたいな普通のゲームというものを一切やらないのです。

 

ゲームの中でゲームしてると、酔っちゃうから 笑

 

でも漫画は読めます。(なんの話

 

 

 

 

・・・ここまで

 

 

 

 

というわけで、

行ってきますヒマワリ