怒涛のスケジュールで、
 
なんと2週間もブログをご無沙汰しておりました。
 
 
気がつけば梅雨が去り、
夏がやって来てましたカキ氷
 
 
夏の昼間の暑さと、
夕方の風が、
本当に気持ちいい風鈴
 
 
高橋ナナです。
 
 
 
そんな中ですが、
 
8月1日に、
私はいっぺん死にました。
 
 
今日はその記録を・・・
 
 
 
 
「死」というものを、
 
そして、
 
自分が死ぬ日のことを、
 
感じれば感じるほど、
 
 
「生」が愛おしくなる。
 
 
 
あと何回、桜を見ることできるのか?
 
 
あと何回、この風を感じられるのか?
 
 
あと何回、子供達をさわれるのか?
 
 
そんな思いがどんどん湧いては消える。
 
 
 
私はもともと、
生きることに、
そんなに執着があるわけではない。
 
 
 
だけど、
「生きていたい」って、
肚の底から思う。
 
 
 
これは「生きる」ことに対する執着ではなくて、
 
「生きてる」ことが愛おしすぎるから。
 
 
 
時間という概念の中で言うなら、
 
死ぬ日は、
今から一番遠い日。
 
 
そこに思いを馳せ、
感じることで、
 
 
今、目の前の全てが、
愛おしくて愛おしくて、
仕方がなくなる。
 
 
生きるも死ぬも、
本当はないけど。
 
 
 
私はいつも、
 
最低でも200歳まで、
 
もし行けるなら、
1000歳まで生きたい!
 
と言ってるけど、
 
 
本当のことを言うと、
それでも足りないって思ってる。
 
 
 
講座などで生徒さんに、
 
「1000歳まで生きたいですか?」
 
って聞くと、
 
多くの人が、
 
「いやいや!そんなに生きたくない!」
 
っていう。
 
 
 
私は、
人の観念をあぶり出す時に、
よくこの質問をする。
 
 
 
この質問をすると、
 
その人が、
 
今の人生をどう捉えてるか?
 
自分自身をどう感じてるのか?
 
が一瞬でわかるから。
 
 
 
この質問の答えはもちろん、
人それぞれの自由なんだけど、
 
 
良いとか、悪いとかの話ではなく、
 
純粋に、
 
「なぜなんだろう?」
 
っていつも不思議に思う。
 
 
 
なんでこんなにもみんな、
死にたがってるのかな?と。
 
 
 
もし目の前の日々が幸せで、
 
愛おしくて、
 
 
自分のことも自分の体も、
 
本当に愛おしければきっと、
 
 
ずっとここで生きていたいと思うはず、
 
身体から離れたいなんて思わないはず、
 
だよね?
 
と。
 
 
 
 
人間にとって、
 
「死は怖いもの」
 
というのが一般的なみたいだけど、
 
 
「永遠に生きる」
 
のはもっと怖いらしい。
 
 
 
 
かくいう私も、
 
 
看取ってもらった時、
 
「あ〜これで、全部終わって、ゆっくりできる〜」
 
って自然に湧いて来たけど。
 
 
 
人生に、あれやこれや詰め込み過ぎて、
 
ちょっと疲れてるのかもしれないね!笑
 
 
 
 
「老いるのが嫌」
 
「大切な人が死んで行くのを見るのが嫌」
 
「病気になるのが嫌」
 
「生きること(生活するの)が大変」
 
「ただただ、生きるのがめんどくさい」
 
だから、
 
そんなに長い間は、
 
生きていたくない。
 
 
 
大抵の人が言うこれって、
 
本当に、一体なんなんだろうね!笑
 
 
 
「死」に対する様々な観念が絡み合って、
 
「そんなに長く生きていたくない」
 
ってこの言葉になるんだろうね。
 
 
 
これを読んでるあなたは、
 
 
「今日からあなたは不死身になりました!
永遠に生きます。
死ぬことができません。」
 
 
って言われたら、
どう感じますか?
 
 
 
生まれたことや、
生きてることにもっと感謝しよう!
 
なんて、
 
そんなくだらない説教をしたいわけでは全くないんだけど、
 
 
多くの人がいつか死にたいのは、
 
沢山の人(私含む)が、
 
無意識に、
 
 
人生を、
 
ただやり過ごすように生きてる現れ、
 
 
そして、
 
頑張って生きてる現れなんじゃないかって思う。
 
 
 
人間は、
慢性的に無理して、
頑張って生きてるのかもしれないね!
 
 
 
永遠に頑張り続けるのなんてしんど過ぎるから、
いつかは死んで、
そこから解放されたいと。
 
 
 
 
自然に「死」が来るその日まで、
 
なんとか生きて、
 
やりたいことを沢山やって、
 
それとなく幸せでいられればいいな。
 
 
 
きっと多くの人が、
 
その程度なのかもしれない。
 
 
 
「今とっても幸せ!」
 
って言ってる人でさえも、
 
いつか死んでもいい程度の幸せしか、
 
感じたことがないのかもしれない。
 
 
 
 
「その程度の幸せ」って、
言葉は悪いけど、
これは別に悪いことじゃないよね。
 
 
幸せに優劣はないし。
 
 
でもこれ、
ずっと不思議でさ。
 
 
 
そんなに幸せなら、
絶対死にたくないはずだよね?
 
90歳で死ぬのは良くて、
1000歳まで生きるのはなぜ嫌なの?
 
って思って 笑
 
 
 
 
もう充分に生き切った。
 
充分、経験もした。
 
たくさん愛して、愛された。
 
 
もう大満足、
 
思い残すことも何もない。
 
 
そんな大往生。
 
 
 
それはとっても素敵だし、
 
美しいし、
 
憧れる。
 
 
 
でも私は、強く思った。
 
 
ずっと死にたくない人生を送りたいと。
 
 
 
今回のこの人生に関しては、
 
たとえ200歳や、
1000歳まで生きたとしても、
 
 
死に際さえも、
 
 
「この目で、もっと沢山のものを見たい!
 
この体で、もっと沢山のことを感じたい!
 
だからまだ死にたくねぇ!!!」
 
 
って駄々こねるくらい、
 
 
今のこの人生と、
 
この肉体と、
 
この世界と、
 
そばにいてくれる大切な人たちを、
 
 
愛おしいと感じる日々を送りたいし、
 
愛せる自分で在りたいとも思う。
 
 
 
死に際でさえも、
 
死ぬことに諦めがつかないほどに、
 
 
この日々の全てを愛しているような、
 
 
自分自身のことを、
 
自分の子供と同じくらい愛しているような、
 
 
そばにいる人に対して、
まだまだ一緒にいたいから死にたくない!って、
 
強く強く想うような、
 
 
どう頑張っても往生際の悪い、
 
無様な自分になってしまうような、
 
そんな人生を送りたいと想う。
 
 
 
無様になるほど、
 
この日々の全部を愛していたいし、
 
何かを愛せないでいる自分にも、
丸ごと愛が湧いてくるような、
 
そんな人生を送りたい。
 
 
 
 
周りの人は、
 
死に際の人間が、
 
「まだ死にたくねぇー!」なんて言ったら、
 
相当、後味が悪いだろうけど 笑、
 
 
ナナは、
 
そこまで駄々こねるくらい、
 
そこまで死にたくないって思えるくらい、
 
幸せな人生を送ってたんだな!
 
よかったな!
 
って、
 
むしろお祝いして欲しいし、
 
自分が愛されてたんだなーって感じて欲しい。
 
 
 
そして、死ぬ、
 
その瞬間は、
 
超集中して、
 
最期まで意識が朦朧としたりしないで、
覚醒したまま、
 
 
人が「死」と呼ぶものをじっくり味わって、
 
この体の最後の体験である肉体死を、
 
厳かに味わい尽くせたら、
 
最高に幸せだと思う。
 
 
 
 

自分の生きる人生を愛せ。

 

自分が愛する人生を生きろ。

 
 
 
また、ボブ・マーリーの言葉を思い出す。
 
 
 
そしてこれからも私は、
 
 
誰の、
 
どんな生き様も、
 
どんな死に様も、
 
 
その命が決めた、
 
全てのことを、
 
心からリスペクトする自分で在りたい。
 
 
そんなことを、
強く、強く、想ったのであります。
 
 
 
今回、この方に看取っていただきました。
 

 

 
ロックなアスリート女医、
 
 
 
そして一緒に死んでくださった、
大好きなカウンセラー、
 
 
 

 

そして、
旦那のヒロル氏も。
 

 

 
クレンジングジェルでもなかなか落ちないアイラインが、
全て綺麗に消滅するほど、
涙が溢れてしょうがなかった。
 
 
 
暢子先生の、
 
『いっぺん死んでみるWS』
 
 
いつか死ぬ、
全ての人、
 
 
これから大切な人を看取るであろう、
全ての人、
 
 
日本人、
全員受ければ良いのにと、
心から思う。
 
 
 
暢子さんのせいで、
 
2週間ぶりのブログが、
また超エモくなったけども!!笑
 
 
 
死にたい人、
ぜひ、暢子さんに看取ってもらってください。
 
各地でワークショップの開催されています。
日程とか、詳しくは、
暢子さんのブログに載ってます。
 
 
と言うわけで、
 
みなさま良い夜を星空
 
 
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