旅立ち2024春 | 俺ってデビルマン!?

俺ってデビルマン!?

知ってる人は知ってるし、知らない人はまったく知らない…私、元・週刊ゴングの鈴木淳雄と申します。かつて所属していたプロレス業界に限らずに、今現在の私をありのままに記していきたいと思いますので、どうぞ宜しくお願い致します。

 

 息子が巣立っていった。

 35年前、私が実家を出ていったときに、両親はこんな気持ちだったのかな…と思ったら、何だか胸が痛くなった。

 子供の頃から実家を離れてずっと一人暮らしをしたいと思っていた私は、本当は社会人になったらすぐにでも家を出たかった。しかし当時の職場は実家と同じ横浜市内にあったし、生まれてからずっと共に過ごしてきた家族と離れるということに、どこか恐怖心があって勇気を出せずにいたのかも知れない。

 しかし職種を変え、職場が東京になると、やはり毎日の通勤時間が辛く、とにかく時間が無駄に思えるようになり、ようやく自分自身に踏ん切りがついた。「家を出て東京で一人暮らしをします」、母にそう伝え、その後、本当に家を出た。

 引っ越しの日には、父と下の妹が手伝ってくれて新居にまでやってきた。当時の父と私は仲が悪かった、…というか私が一方的に嫌っていたのだが、わざわざ引っ越しを手伝ってくれたのは、父なりの私に対する親子の愛情だったのであろう。

 大した会話もしなかったが、言葉にできない感情がそこにあったのは、しっかりと私にも伝わってきた。それから7年もの間、私は実家に帰らなかったのだが、それは実家&家族を嫌っていた訳ではなく、帰ってしまうと自分の心が折れそうになっていたからである。

 というのも、やはりずっと6人家族で育ってきた私にとって、家に帰って1人になるという環境はどうしても寂しさが大きく、静かすぎる環境に毎日が不安と恐怖に包まれていた。

 しかし、あれだけ実家を出たがっていた私が今さらそんな気持ちになっているとは人には言えず、そして家族の声を聞いたり顔を見てしまうと心が折れそうになっていたので、あえて避けていた。それが気付けば7年も経っていた、という感じである。

 やがて「父が重度の糖尿で入院したから見舞いに来なさい」と母から電話があり、そこで父と再会したのを機に、再び家族とも接するようになった。

 あれだけ強くて怖かった対象の父も、ここで再会してからは私を1人前の成人男性として扱ってくれるようになっており、明らかに私と父の親子関係はかつてと変化していたのである。

 もちろん、私のなかでも一人暮らしを経験してきたことで、共に過ごす家族の有り難さを痛感していたので、誰に対しても自然と接することができるようになっていた。実家で暮らしていたとき、有り難さやよりもウザさが先立っていたことを思えば、これは本当に大きな変化である。

 息子はここから会社の寮に入り、新たな生活が始まる。これまで当たり前のように家族がやってくれていたことも、これからはすべて自分でやらなければいけない環境になり、何を思うのだろうか?いずれにしても、次に会うときはきっと逞しい大人の顔になっていることだろう。

 そのときは私も今より自信に満ちて、生き生きとしている姿を息子に見せてやりたい。親離れと子離れ、それぞれの旅立ちの日、この日を私はずっと忘れることはないだろう。



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