要約すれば今年の1/1日本武道館大会に続いて、またも最高峰王座であるGHCヘビー級選手権を差し置いて、特別試合をメインに持ってくるという会社サイドの発表に対し、現王者の拳王、並びに多くのファンが猛反発している、ということだ。
私の個人的な意見は、概ね、拳王並びにクレームを入れているファンの人たちと同じ。だからといって拳王の言うように「ならば無観客でやれ!」というのはちょっと違うと思うが、やはり1年のスタートとなる大事な興行のメインは、その団体の象徴である最高峰王座の防衛戦をやるべき、だと私も思う。
正直、今年のムタvs中邑にしても、話題性や興行のインパクトという意味ではその試合の方がメインにふさわしかったのかも知れないが、間もなく引退してしまう選手とヨソに所属する選手の対決よりも、やはり現在進行形であり、この団体の未来を担う拳王と清宮の最高峰選手権を尊重するべきだと思っていた。
最高峰王座の闘い、それはその団体の象徴ともいえる。そのベルトを巻くものはその団体の象徴、当然、そこに挑む者もその次期候補者としての役割を担い、常に重責を負っている。それはただ試合に勝った者が王者という単純なものではない、全選手、全社員、ファンの期待など、そのすべてを背負って立つ業界の大看板なのである。
だからこそ、その選手権は常に興行の大看板であるメインを務めるべき。仮に他の試合に食われるような結果になったとしたら、それはその一戦に出場した王者であり挑戦者の力量不足だったということ。その経験を今後の糧にすればいい。だからといってその大看板を外したり、位置をずらすことなど本来すべきではない。
まさかそんなことはないだろうが、実現困難なカードを成立させたマッチメーカーの自己満足、自画自賛で試合順を決められたとしたら、これはたまったものではない。現実にはそんなことはないだろうが、そう思わせるほど団体側とファンの間に不信感が生じている今の現状が、一番の問題なのだ。
中にはかつて力皇vs棚橋という対抗戦のGHC選手権を差し置いて、小橋vs健介、三沢vs川田などを後に据えた東京ドーム大会と比較するファンもいるようだが、これはノアの歴史においても本当に異例中の異例。興行のメインを務めるのは最高峰選手権であるべき、これは当時の社長である三沢の信念でもあったといえる。
現実に2002年7月26日、代々木大会でのこと。この日のメインで組まれていたのは小川良成vs力皇猛のGHCヘビー級選手権だったのだが、セミに話題性の高い浅子覚の引退試合(三沢光晴、小橋建太、浅子覚vs田上明、井上雅央)が組まれていたこともあり、王者の小川自身から大会当日に試合順の変更申し出があった。
この頃、私はノアの社員として大会演出進行責任者を務めていたので、試合順はかなり前のカードが決まって直ぐに社長である三沢に確認し、何度も業者やTV局と進行打ち合わせを行って当日を迎えたもの。つまり試合カードとその試合順の最終決定権は、すべて社長である三沢1人の権利であった、ということは間違いない。
結局、この小川の申し出もまだ会場に着いていなかった三沢の携帯に私が電話を入れて確認すると、直接「(メインは)GHCでいく」と改めて言い渡された。興行のメインは最高峰王座であるべき、私が辞めて以降のノアはどうだったか知らないが、少なくとも私が所属していた頃のノアは、その絶体不文律が確かに存在していた。
今の時代を生き抜くために、新たな施策を用いるということは、決して悪いことではない。でもあの会社がノアを名乗っている限り、見る者はそこに三沢光晴であり、小橋建太らの偉大な足跡を見つめ、踏襲することを望んでいる。今の変わり果てた姿は、正直、見るに耐えないのである。

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