やがて三沢が出社。会場ではなく、まずは社長室に入るのがディファ大会時の通例なので、私もすぐにその後を追う。
というのも、他の社員に先を越されて扉を閉め、他者入室禁止的な空気を醸し出されてしまうと、その人の用事が終わって出てくるまでこちらは手も足も出せず。
なので外部の人間を待たせているなど緊急性を要するときはとにかく我先にと入室し、サッサと自分の用事を済ましてしまわなければならない。
入室するや、挨拶と同時に当日のカード表と演出進行表を提出し、変更事項がないか最終確認をするや、早速、例の問題を問うてみた。
「冬木さんが入場時に数名のセコンドを引き連れてリングに上がるみたいなのですが、そこに女子プロレスラーの井上京子選手がいるようです。何か問題はありますか?」
「……」
社長は机の引き出しから取り出した別の何かの書類を読みながら聞いており、このときは何も答えを返さず。
「まさか試合に介入してくるようなことはないと思いますが…、どうですか?」
「……」
それでも何も言わなかったので、私の話をちゃんと聞いているのかいないのか、ちょっと不安になってもう少し大きめの声でもう一度問うてみた。
「どうしますか!?」
「ん!? あぁ、別に構わないよ。すべて冬木さんの好きにさせてあげて」
「分かりました、ではセレモニーの人選と順番ですが、そちらの表通りで問題ないですか?」
相変わらず別の書類を読んでいたが、カードを提出したときに一緒に目を通していたのは確かなので、黙って頷いていたのはOKの意思表示と私は受け取り、次の事項に移る。
「ではその通りでいきますね。それと10カウント・ゴングはどうします?」
その一言を聞くや、ようやく私に視線を合わせると、ちょっとムッとした感じでこう返した。
「10カウント・ゴングって、縁起でもないこと言うなよ」
言われてすぐには気付かなかったが、そういえば全日本プロレスでは現役引退だけでは10カウント・ゴングをやっていなかった。だが、他の団体では普通にやっているので、改めてこう聞き返す。
「……、全日本では亡くなった方の追悼時のみ10カウント・ゴングをやっていたみたいですが、他の団体では現役引退のときもやってますよ。ウチはどうしますか?」
「いや、やらなくていい」
冬木さんががんだということは既に公然の事実で私も知っていたが、そんな態度を露骨に変えるほどの反応をするということは、やはり冬木さんはこの頃から容態はかなり良くはなかったようだ。
とりあえず確認しなければいけないことはすべて確認できたので、すぐに社長室を出て隣のディファ会場へ。各業者に指示を出し、最終テクリハの時間を確認。その際に冒頭のノアスタッフも通り掛かったので、そこで返答した。
「社長のOKが出ました。すべて冬木さんの好きなようにさせてあげてくれ、とのことです」
「分かりました。さっき社長が控室に来て、冬木さんに『冬木さんの好きなように何でもやっちゃって構わないよ』って直接言ってました」
聞いていないようでも、ちゃんと社長は聞いていてくれたようだ。
ちなみにこの引退試合の一年後、5月5日の川崎球場大会による橋本真也との電流爆破マッチで1日限定現役復活を宣言した冬木さんは、集まったマスコミに「俺はまだ(引退の)10カウント・ゴングを聞いていない」と言っていたそうだ。
結局、その前に冬木さんは還らぬ人となり、この試合は実現しなかったが……。