今思えば、3/21の春分の日を境に、私の生活に激変が起きた。

次々と「予想だにせぬ出来事」が起きた。あまりに心身に負荷が

かかったので、3月最終週は寝込んでしまった・・・。

ようやく体を起こせるようになった3/31、何かの仕上げのように、

更に「予期せぬ出来事」が、1日のうちに立て続けに起きた。どれ

1つとして、そうなることが事前に読めなかったことばかりガーン

これは一体どうしたことか、と思った。

 

占星術や暦のわかる人たちは、いつも春分の日や年度の変わり目

の、意味を説明してくれる。私には全然わからんが、なにか私を

取り巻く環境だけ見ていても、今年は地上の空気が激変したことが

わかる。これだけ事件を見せられりゃ、もう十分じゃ。意味合い

など解説いらん。

そんなことが起こるとは知らない時に、4月初めの貧乏福島旅行

思いつき、アレンジしていた。(子供達ははしゃいでいたので言わ

なかったが、内心)「行けるかな、体大丈夫かな?」なんて思って

いたら、その旅行前日に、またとってもイヤなことがあった。

さすがに凹んだショボーン

 

でも、とにかく始発ででかけた。「里のカフェ」巨大いちごパフェ

を食べたあと、友人の家へ。友人は今、お母様との2人暮らし。

でも家と畑や山を含む土地は広大で、本人達も「あの山の向こうの

どこまでがうちだったっけな?」とか言ってる。うーん、スケール

がちがわぁ。

敷地内には、👇こんな風に平飼いの鶏ちゃんたちが好き勝手に歩い

てる。

 

人にも慣れてて、私も一緒にぱちりと1枚ニコニコ。あぁ、のどかだ・・・。

 

 

私が家の中でまったりしてる間に元気な子供達は道も知らぬくせに、

感じるままに散策。👇の写真を撮った息子が、「この林、絶対神様

いるって思ったわ!」と言って帰ってきた。

 

 

そのうち、全く知らぬ自然栽培の農家さんに出逢い、そこの大きな

犬と散歩させてもらった上に、家に上がり込んでお煎餅をご馳走に

なったとな。帰り際には、「君たちが泊めてもらってる家までは

ちょっと距離があるから車乗ってくか?」「は、はい!」「じゃ、

乗りな。」「あのぉ、座席が1つしかないんですが、僕と妹はどう

したら・・・」「なーに言ってんだよ、後ろに乗んだよ!」

そう言われ、農作業をするトラックの荷台に揺られて帰ってきました。

 

子供達がそんなことをしてる間、私はと言えば、友人の家の周りの

畑を見て歩いていた。ふと気づくと、涙が頬を伝っている。

予期せぬことが続けて起こりすぎて対処できずにいた心が、ここで

ほぐれて、自分に素直になれた。驚いたこと、諦めないといけない

こと、(激務の仕事から退き、3年たったが)これから家族のために

またハードに働かないといけなくなったこと・・・。

そんな風になる前にネサラゲサラが起きて、世がひっくり返って、

重い借金からは解放されると思っていた。でもそれは、淡い夢に

すぎず、その自分の「見通しの甘さ」に対する悔しさ。

 

Qのプランを疑う気など毛頭ないが、我が家はネサゲサまで持ち

堪えることができなかった。

いろいろな思いの涙がこぼれた。でも福島の満開の桜は、そんな

私の涙を、全部吸収してくれた。そしてやさしく抱(いだ)き、

包み込んでくれた。

空の、川の、畑の、木々の、鳥や虫たちのさえずりが、私の涙に

濡れる頬をやさしくなで、通りすぎていった。

 

友人の家の食卓で囲む食事は、材料のすべてが自分での畑で採れた

もの。目玉焼きも、朝産みたての平飼い卵。いいなぁ、こんな

暮らしがしたいなぁ。「毎日これだと変化がないよ。大きなうちで

やることないよ。」と友人のお母様がおっしゃるが、人間は常に

ないものねだりだ。

こんな所で暮らしてたら、いつも陽にあたって農作業が忙しいから、

誰も鬱病になってる暇ないね~と言うと、「んだ、そんな暇はねぇ。

そんなのはおらん。」と言っていた。だろうな爆  笑

 

帰りも、普通列車で4時間半。でもなんの苦でもなかった。

貧乏旅行だったけど、私と子供達の心には「素敵な宝物」が思い出と

して残った。神様と福島の大地と空、古い友人に感謝しかない。

 

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