小説「愛しのアスペル君」 -4ページ目

「?」な息子とシングルファーザー  3

 アキラが生まれてからの日々を思い返すとき、翔の脳裏に決まって浮かんでくる映像がある。それはの、粉ミルクがぶちまけられた部屋だった。


「こんなのいらないよ!」

 かつての妻は何度そう泣き叫んだだろう。泣き止まないアキラを抱えて、彼女は自分もわんわん泣いていた。

「子供が泣き止まないのは当たり前。成長すれば解決します」

 どの育児書にもそう書いてあった。しかし成長して泣き止むのはいつなのか、書いてある本は一冊もなかった。

 

 本来ならいつかは終わるはずの育児が、アキラの場合は10数年経っても終わらないとそのとき知っていたら、かつての妻は首を括っていたかもしれない。

「?」な息子とシングルファーザー 2

 最近めっきり白髪が増えた母は、ぽかんと口を半開きにして眠るアキラの髪を撫で、「この子を」と呟いた。

「この子を、あんたが一人で育てんといかんのかねぇ」

 声に落胆が混じっている。


 俺にとってこいつは何なのだろう。翔は、アキラのリンゴのような頬っぺたを見ながら思う。


 こいつを産まれてからずっと、俺は縛り付けられていたような気がする。父親という役割に、家族を維持していくという責任に、息子を愛さなければならないという義務に。

 

 本来なら、そんなことを考える必要などはないのだ。未熟ながらも若い夫婦が手を取り合って、共に子育てを懸命に行っていれば。


 しかしいま、重圧は翔の肩ひとつにずっしりと圧し掛かっている。一人では持ちきれずに、実家へそれを下ろしに来た。


 アキラの母親は子どもを育てられなかった。翔と離婚した後、彼女は事故で他界した。

「?」な息子とシングルファーザー 1

●「?」な息子とシングルファーザー

 バタバタと走り回っていた音がやんでしばらくしてから、翔はそっと自分の部屋を出た。隣の部屋の引き戸をそっと明ける。 

 煌々と灯りがついた部屋で、アキラがすやすやと寝息を立てている。2歳になったばかり、真っ赤な頬っぺたはリンゴのように赤い。


「やっとさっき寝たわ」 

 アキラが来てから、家族皆から「おばあちゃん」と呼ばれはじめた母親がため息交じりに言った。

「やっと寝た。もうたまらんわ、こん子は。目が固(かと)うて、ひとつも寝りゃあせん」


「……宵っ張りやな」

「あんたに似たんじゃわ」母は履き捨てるように言う。

 翔は唇を噛んだが、黙って言葉を飲み込んだ。なんといっても、幼児を育ててもらっている立場である。 ちなみにそれがアキラの特性のひとつであると分かるのは、ずっと先のことだった。