2017年に神戸で、
祖父母と親戚の女性の3人を殺害し、
母親を含む2人に怪我を負わせた竹島被告に対して、
神戸地裁の飯島健太郎裁判長は、
統合失調症の影響で心神喪失状態だった疑いが残る、として、無罪判決を下した。
この裁判では、異なる見解を出した2種類の鑑定が存在する。
弁護側の主張に沿った、
責任能力無し、という鑑定と、
検察側の主張に沿った、
心神耗弱にとどまり責任能力を問える、という鑑定だ。
このうち責任能力無し、の方は、
11回面接し、前提条件に誤りは無いが、
責任能力有り、の方は、
面接が1度で時間も5分程度で、
手法が不十分、として信用性を否定して退けた。
これだけ聞けばそうか、と思うが、
実はおかしい事がある。
責任能力有り、と診断した医師の面接が、
1度、5分しかできなかったのは、
被告が拒絶したからなんだそうだ。
自分に不利な鑑定をしそうな医師だけ拒絶して鑑定させない、って、
都合が良過ぎないか?
むしろそういう判断をできる時点で、
完全責任能力があるんじゃないの?とさえ疑いたくなってしまう。
まあこの事件は恐らく検察が控訴して、
また別の精神科医が鑑定し、
再度その真偽が問われる事になり、
最終的には心神耗弱で落ち着くんじゃないか、と思われるが、
責任能力の有無を問う事件が起きる度に、
いつも疑問に感じる事がある。
そもそも本当に妄想で殺人にまで及ぶ程の、
重度の精神障害者が、
何故普通に一般人の中で暮らせているのだ?
この事件でも、裁判官が認定した、
責任能力が無い程の障害なら、
閉鎖病棟に収容されていてしかるべき患者だろう。
この事件には当てはまらないが、
薬物中毒などで妄想から事件を起こした場合も、
中毒症状が酷ければ、
心神耗弱や心神喪失、と認定される。
だが、そもそも薬物を摂取したのは、
本人の意志であり、
始めた時は完全責任能力下で、
その選択をしたはずなのだ。
それなのに実際にそれで精神に異常をきたしたら無罪、とか減刑、っておかしくないか?
責任能力を否定される程の薬物に手を出した事に対して、
責任能力を認定すべきではないのか。
飲酒運転で事故を起こした場合は、
通常の事故より罪が重くなる。
泥酔状態なら、危険運転致死傷罪が適用される場合もある。
これは禁止されている飲酒しての運転だから、という理由のはずで、
それは禁止薬物も同じだと思うのだが、
薬物中毒の責任能力の有無、という話はあっても、
泥酔状態だから責任能力が無いと認定された、という話は、
ついぞ聞いたことが無い。
構造は全く同じだと思うのだが、
この差は何なんだろう?
そもそも、この責任能力の有無で無罪や減刑、という制度のせいで、
装う悪質な犯罪者も出てくる。
責任能力が無い、と判断される様な事件なら、
責任能力があるとして判決を下し、
刑期の間、閉鎖病棟に収容するようにしたらどうだろう。
そうすればじっくり治療もできるだろうし、
少なくとも無罪になって、
短期間の治療で世の中に出てきて、
また被害者を増やす事態は避けられるだろう。
この事件の判決が出る少し前、
ハロウィンの夜に、24才の男が、
京王線の車内で包丁を振り回し、
ライターオイルを撒いて火をつけて、
18人を刺傷させる、という事件が起きた。
2人以上殺して死刑になろうと思った、と供述しているらしい。
この容疑者も精神鑑定されるかもしれない。
もっともこの事件では、
用意周到に準備しているし、
別に妄想から起因している訳でもないので、
完全責任能力が認定されるだろうが、
時々起こるこういう、
死刑になりたかったから、という、
無差別犯罪は何とかならないものか。
絞首刑は残虐だから、と否定的な人も多いし、
私も薬物注射の方がいいのではないか、と思うが、
「死刑になりたいから人を殺した」ような犯人には、
考え得る最大限に残虐な、
死刑執行方法にすればいいのに、と思う。
死にたけりゃ1人で死ね!
他人を巻き込むな!
それでも巻き込んで死刑を望むなら、
とてつもない苦痛が長く続く、
最悪の死に方になるよ、とならなければ、
馬鹿な事を考える人が無くならないのではないか。
大体が、こういう、他人の痛みを想像できない者に限って、
自分の痛みには弱かったりする。
死刑になりたい者には、
「死刑」が抑止力にはならなくても、
「痛み」は抑止力になるかもしれない。
京王線事件で、
意識不明の重体になられた72才の男性の続報が、
一向に出てこないが、
1日も早く回復されますように。