どんどん酷い事になってきた。

この記事を書いたのが12日前。
残念ながら状況は予想通りに推移している。

イベントが片っ端から中止や延期になり、
スポーツ関連は無観客も選択肢にしている。
確かに大勢の人が集まる場は、
リスクが大きいのは分かるのだが、
それを止めれば本当に事態が終息するのか、には、
些か懐疑的でいる。

全く家から出ないで生活はできない。
ある程度仕事や学校を休みにしたとしても、
例えば食品スーパー等は開けて貰わなければ食料の調達ができなくなるし、
必然的にそこで売る物を作る生産者や、
物流を担う人達は、
全面的に仕事を休む訳にはいかない。
勿論、医療や介護に携わる人達は、
休むどころか、
むしろ普段より厳しい労働環境に置かれているだろう。
交通機関や役所など、公共性の高い職業の人は、
元々休めない。

ということは、ある程度の人の移動と接触は避けられない訳で、
政府や識者が言う、
ここ1、2週間が勝負、説は、
楽観的過ぎるのではないか?という気がするのだ。

ただ、感染者と死者の数が増えていくことに、
皆が恐怖を感じているのは分かる。
だからこそ、落ち着かせる為にも、
この1、2週間乗り切れば、という話が出てくるのだろうが、
仮に2週間後に右肩上がりに殖える感染者の数が、
一時的に減ったとしても、
通常の社会生活に戻ればまた増えてしまうのではないか。
インフルエンザは、夏季にはひとまず落ち着くが、
コロナは季節には関係ないらしい。

とすれば、結局1日も早く有効な治療法を見つけ、
ワクチン製造を急ぐしか無い。
様々な自粛や中止は、
その為に時間稼ぎにはなるだろう。
逆に言えば時間を稼げるうちに、
それらができなければ、
もっと強烈なパンデミックが起きるかもしれない。

既にイタリアでもかなりの数の感染者が出ているし、
事は極東の一地域の問題では済まなくなっている。
日本国内でも、ここ数日は北海道が一気に数を増やしたが、
数が少ない場所は感染者が少ないのではなく、
検査を受けて見つかった人が少ないだけ、と考えるべきだろう。

その上でもう一度言う。
注意は必要だが、恐れすぎることは無い。
新型が出る前から、年間10万人近くの人が肺炎で亡くなっているのだ。
誤嚥性肺炎を含まないでこの数字である。
肺炎は、特に高齢者にとっては、
新型であろうとなかろうと、危険な疾患なのだ。

だから新型だけに大騒ぎせず、
肺炎全体に冷静な対処が必要だし、
皆が落ち着きを取り戻すことが大切なはず。
マスクを奪い合ってケンカ、なんて、
本末転倒も甚だしい。

一人一人ができる対策をキチンとやっていけば、
この難局も乗り越えられると信じている。
その為にも力を合わせようではないか。
今日は義父の月命日。

けれどもう1つ、大事な日でもある。

義姉が52才の若さで亡くなった、
祥月命日なのだ。

あれから丁度15年。
小6だったうちの長男は院も卒業して就職3年目。
あの時学生だった彼女の一人息子は、
就職し結婚して、今では2児の父、
そしてどんなにか会いたかったであろう初孫は、
4月から1年生になる。


当時は私もまだ40代半ばだったので、
それほど思わなかったのだが、
今となっては本当に若くして亡くなってしまったのだな、と実感する。
彼女の年齢を越える時は、複雑な思いがあったけれど、
あっという間に倍も生きてしまった。

その間に義父を送り、義母の介護は続いている。
思い起こせば大変な事ばっかりだったけど、
それでもこの15年、私を支えたのは、
両親の面倒は私がちゃんと見ますから安心して下さい、という、義姉にした約束だったように思う。

そして迷惑ばかりかけてくれた義父を
結局見捨てられなかったのは、
亡くなった義姉を病院から家に送り届けて枕経をあげて貰った後、
深夜に自宅に戻った時、
車庫から家に入る暗い道で、
子供を亡くす、これに勝る不幸は無いね、とポツンと言った義父の、
落ちた肩が忘れられなかったからかもしれない。


娘なのに私よりずっと思い入れが無い義母は、
当時の事を殆ど覚えていないが(笑)
私はこの日の前後の事は鮮明に記憶している。

肺腺癌が見つかった時に既に末期ではあったけれど、
それから2年余り、
抗ガン剤も効いて、少し前までそこそこ元気にしていたし、
ガンで亡くなる時には痩せ細る、というイメージがあって、
多少はホッソリしたものの、
まだまだポッチャリしていたので、
正直、当分大丈夫だ、と油断していた。

それがあれよあれよ、という間に、
数日で坂道を転がり落ちるように、
一気に悪化してしまい、
誕生日まで後1月、という所で力尽きてしまったのだ。

亡くなる4日前まで、
雛祭りには桃の花持ってきちゃダメかな、とか、
誕生日には両親連れてケーキ持ってこよう、とか、
勝手に計画を色々考えていたのに。
結局何もできずに終わってしまった。


来年はもう17回忌。
いつか私もそっちへ行った時
──あの世があるのか、
そこで会えるのか分からないけれど──
ちゃんと約束守ったよ!と義姉に言う為に、
多分その為だけに、
私は今も介護を続けている。
今日は2月22日、にゃんにゃんにゃんの日。

丁度その日に読み終わった、
全てネコをテーマに書かれたアンソロジーだ。
有川浩や町田康を始め、
元は小説現代2017年3月号に掲載された短編に、
書き下ろしの漫画を加えて出版されたようで、全編、ネコの登場する作品ばかりで、
ネコ好きには堪らない1冊。

それぞれに味わい深いが、
やはり私は巻頭の有川浩、猫の島、が好き。
この人の書く物は、筆致が優しい。
命を助けられた老猫が、
老婆の姿で出てきてしゃべっていても、
まるで違和感が無い。
まあ実際、ネコってそれくらいやりそうなとこあるし(笑)


猫の日なんだから、
今日は猫の事を考えて過ごすのも悪くない。
午前3時に家を追い出された、と訪ねてきた小6女児に、
会うこともせずインターホン越しに、
警察に相談しろ、と追い返した神戸の児相。

大きく見えた、緊急性を感じなかった、とか言い訳してるようだが、
小6にもなれば、大人と変わらない大きさの子もいるし、
インターホン越しに大人か子供か見分けられたとは思えない。
実際児童だった訳だし、大体大人が児相に行かないだろう。
それに午前3時の来訪が緊急性が無いなら、
一体いつなら緊急性を認めると言うのだ?

幸いこの子は、自分で交番に行き無事保護されたが、
もし追い返された後に、事件や事故に巻き込まれていたら、
このNPO法人の70代の男はどう責任を取ったのだろう?


正直また神戸か、と思ってしまう。
教師虐めが問題になって日も浅い。
虐待や虐めに対する認識が甘過ぎるように見えてしまうのだ。

どういう経緯でこの子が家を出されたのか分からないが、
真夜中に子供を外に出すこと自体、立派な虐待だ。
その認識の無い親も、
こんな無責任な対応しかできないNPO法人に業務委託している神戸市も、
深夜3時の来訪を緊急性が無いと判断する、
常識の無い職員を派遣しているNPO法人も、
全部まとめて虐待に加担している、という事が分かっているのか?
今後は再発防止の為にマニュアルを徹底します、という問題ではない。
マニュアルどうこう以前に、
子供を守る、という大前提を理解していると思えない。

このところ児相の不手際が目立つ。
勿論、多忙の中、子供達の為に頑張っておられる職員が大半だ、とは思う。
だが、対応を誤れば命に直結する危険性を、
常に孕んでいる、という緊張感に、
失礼ながら少々欠けているのではないか、と思わざるを得ない。

児相は子供達にとって最後の砦なのだ、という事を、
決して忘れないで貰いたいと思う。
姪っ子が試写会が当たったけど行けないから、と回してくれて、
公開から一足先に観てきた。

あの大事故の時、
TVに映し出される、何度も起きた水蒸気爆発の下で、
こんなことが行われていたのか、と
改めて認識した。

彼らの命懸けの努力がなければ、
原子炉格納容器は爆発して、
チェルノブイリの10倍とも言われる膨大な量の放射能が四散し、
日本の半分は人の住めない廃墟と化していただろう。

何故爆発しなかったのかは、まだ分かっていない、と、
映画の中で、2013年時点の吉田所長の葬儀の弔辞で、
伊崎当直長が述べていたように、
理由の分からない、奇跡だったのかもしれない。

今の私達は、最悪の事態は避けられた事を知っている。
けれどあの時、どうなるか全く予想できない、
極限の危機の中で、
やれる事、やるべき事を、
体を張ってやり遂げてくれた人達がいなければ
最悪の事態が現実になっていたかもしれない。


それにしても、
無能な国の首脳陣、
無責任な企業の経営陣は、
間違いなく国家を危うくする。

当時も菅首相の視察を含めた対応は批判されたが、
批判なんて生温い。
口を出すべき時と、出してはいけない時すら見極められないのなら、
首相なんてやってはいけない。
最近、野党の中で大口を叩いて、
政府批判をしている枝野さんも、
当時の官房長官だったのだから同罪。

やはり貴方達に危機管理能力は無く、
どう転んでも政権を託すのは無理だ、と再認識した。
自民党がどれ程腐っていようと、まだましだ。

当時、官邸の言いなりになっていたら、
事態は更に悪化していただろう。
それを救ってくれたのは、
気骨のある吉田所長を始めとする現場の人だった。

その吉田所長は1年経たずに食道ガンが見つかり、
2年後には58才の若さで亡くなっている。
時期が近いので、被曝は直接の原因ではないだろうが、
間違いなくストレスは影響しただろう。
そういう人がいた事、そして救われた事、を
絶対に忘れてはいけないと思う。

クランクアップ会見で浩市氏が言った、
人間は忘れなければ生きていけない事と、
絶対に忘れてはいけない事の2つあり、
この映画は後者です、という言葉、を
私も忘れずに生きていきたいと思う。


1人でも多くの人に、
この映画を観て欲しい、と思う。
そして、あの日、あの時、あの場所で何があったのか、を、
同じ国民として、共有していきたい、と思う。


正直、またか、という感は否めない。
ただ、やっぱまたやったか、という第一印象から、
逮捕容疑が2年前の覚醒剤所持、という事を知り、
少々違和感が残った。

薬物犯罪は原則現行犯だと思っていた。

尿検査や髪の毛の検査で、
今、この瞬間に所持や使用をしていなくても、
使用歴は証明できる。
でも2年前の使用は証明できないだろう。
2年前から継続して今も使用中、ならできるだろうが、
それは最早2年前の容疑では無い。

沢尻エリカのように、
今使用していなくても持っていた、という事で逮捕することはできるが、
それはあくまでも現時点での所持だ。
警察は使用も立証できると思っていたのだろうが、
彼女の場合は、思惑に反して、
少なくとも数ヵ月は薬物を絶っていたので。

槇原敬之は2年前の容疑なので、
逮捕された当時の同居人が、
これは彼の持ち物だ、と証言したとしても、
その入手経路など、キチンと裏が取れているのだろうか?
本人が認めたとしても、
それだけでは証拠として弱い。
直近で使用の確証があり、
検査で出る、と踏んでいて、
現在の容疑でも再逮捕できる、という見込みだったか。


あれだけの才能がありながら、
薬物を絶てない彼には残念でならないが、
まあ一昔前にはアーティストが薬物に手を出すのは日常茶飯事だった。
その結果、過剰摂取で命を落とした人も、
欧米では両手で足りない。
本当に勿体ない、と思う。


それにしても何故このタイミングだったのだろう。
捜査に2年かかったというより、
30周年で様々なイベントが計画されている今が、
1番目立つからなんじゃないの?と、
ちょっと意地悪な見方をしてしまう。

というのも、警視庁と厚労省のマトリ(麻薬取締官)が張り合っている、という話を漏れ聞くからだ。
有名人を逮捕すれば、
確かに報道は大きいし、お手柄感はあるだろう。

その為に、1番効果的な時期まで泳がした?と思うのは考えすぎだろうか?(笑)


ともあれ、彼の場合は証拠や余罪がゾロゾロ出てくる気がするし、
2度目、という事もあり、実刑は免れないかも。
創造力と想像力を駆使して名曲を作り上げてきた人が、
何故もう一度捕まったらどうなるか、という想像ができなかったのか。
自分に甘かったのかもしれないが、
その代償は高くつく。

それでも彼を応援する人は大勢いるだろうし、
彼の曲を待っている人も大勢いるだろう。
もう一度自分を見つめ直し、
立ち直って音楽の世界に帰ってきて欲しいと思う。
ここへきて、感染経路のはっきりしない患者が増えているようだ。

初期症状は風邪によく似ているそうなので、
気がついてないだけで、
感染している人がかなり増えているのではないか?
既にパンデミックが起きている、と思った方がいいかもしれない。

まだ誰でも簡単に検査を受けられる状況では無いので、
症状の出ない人や、
出ても重症化せずに治癒する人も一定数いるはずで、
自覚なしに感染源になっているとしたら、
今後感染者は益々増えると予想できる。


こうなってしまうと、もう封じ込めは無理だ。
我々にできるのは、自衛と感染源にならないうに気をつける事しかない。

とにかくマメに手洗いを続けること。
気づかず感染してしまった時に他人に伝染さない為にマスクをすること。
不要不急の人混みへの外出を避けること。
そして何より、休息をしっかり取って体力をつけること。


治療方法や治療薬が確立していない、という点で、
皆が恐い、と感じるのは無理無いが、
実際には既知のインフルエンザや肺炎で亡くなる人の方が、現時点では遥かに多い。
むやみに恐れるのではなく、
今できることを確実にやろうではないか。
というより我家ではハッピーバースディーなんだけどね。

孫が5歳になった。

ホント、子供が大きくなるのは早い。
御誕生日のプレゼントは自転車がいいと言うので、
東京で買って貰って振り込むことに(笑)
そのうちお金がいい、とか言い出すんだろうな(笑)

来年はもう入学直前。
幾つまで見守っていられるかなぁ、と思う。
まあもうちょっとばあばも頑張るよ。

お誕生日おめでとう!バースデーケーキ
ニュース速報が流れ、
何事だ?と注視したら、
野村克也氏死去、の報道。
つい最近も夜のスポーツニュースで見たぞ!?と、
心底驚いた。

そうしたらお風呂での虚血性心不全だという。
文字通りの急死だった訳だ。

昨年亡くなって先月お別れの会が開かれた、
金やんこと金田正一氏の時は、
まだ生きてたのね!?という感じだったが、
ノムさんはまだかなりTVの露出もあり、
まあ大分弱ってきてるなぁ、とは思ったけど、
まさかこんなに急に亡くなるとは思ってもみなかった。


怪我をしがちな捕手というポジションでありながら、
45才まで現役を続けただけでも只者ではないのだが、
数字的にも凄い記録を次々と打ち立てている。

戦後初の三冠王もそうだし、
通算打率、通算本塁打、通算打点は全て歴代2位だ。
華やかな巨人の王、長島と比較して、
自分の事を月見草、と評したのは有名な話だが、
どうしてどうして、こんなに目立つ月見草は無いから(笑)

選手としても本当に非凡な才能を持った人だったが、
監督としてもなかなか凄い。
万年Bクラスだったヤクルトを日本一のチームにし、
低迷期の阪神や、創設間もないガタガタの楽天を、
退任後数年で優勝できるまでの基礎を作った。


晩年はボヤキ解説を売りにしていて、
聞いていて面白かったのだが、
やはり沙知代夫人が2017年に急死されてから、
めっきり老け込んだ感はあった。
そろそろこっちへ来なさいよ、と夫人が呼びに来たか!?

ともあれ、長年プロ野球界を支え、
盛り上げてきてくれた名選手、名監督だった野村氏に、
お疲れさまでした、ありがとうございました、と伝えたいと思う。
今日は年に一度の大千度講。

講、って歴史の教科書に出てくる、
神社の氏子の集まりで、
毎年建国記念日の今日、
朝から神社で神事があり、
その後皆で食事会をする。

昔は当番の家(当家)で集まって宴会をしていたらしいが、
いつ頃からかうちの千度講は1泊の旅行に変わり、
2月は寒いし、と、5月頃に行くようになった。

でも旅行となると、毎年2軒の当家の負担が半端無いし、
段々と行くところも無くなってきて、
12年前だかに、当日昼食会に変更することに。


そして今年の当家の1軒は我家。
旅行の頃に比べれば楽な物だが、
それでも事前に試食に行きレストランの手配、
神社に神饌料と御神酒を届け、
当日、神事の前にお茶とお茶菓子の準備。
神社からレストランへのタクシーの手配と
参加者への案内状等は、もう1軒の当家の方が準備して下さったので助かったが、
それなりにすることはある。

その上今年は大阪城天守閣横の、
ミライザという商業施設の中のレストランにした為、
タクシーを降りてから少し歩かないといけない。
雨だと移動が大変、と天気も随分心配したのだが、
蓋を開ければ雲1つ無い晴天で、
ここ数日の寒さが嘘のような暖かい、
良い日よりだった。
屋上に上がって、
大阪城と青空をバックに集合写真も撮れ、
無事お開きとなった。


ところで、我家には高齢の義母がいるので、
義母をどうするか、が毎年大問題。
去年までは息子にこの日は1日にいてね、と早目から頼んでいた。
学生時代は勿論、社会人になってからも、
ここ2年は丁度週末だったので帰ってきて貰ったのだが、
今年は週の途中、しかも火曜日はヘルパーさんの来ない日ショボーン

何とかヘルパーさんに入って頂けないか、
かなり前からお願いしていたのだが、
人の手配がつかず、13時~しか無理、という返事。
1番お願いしたいのは義母の食事なので、ちょっと遅すぎる。
インスリンをしている関係もあって、
決まったリズムで食事を摂るように気をつけていたので、
結局ヘルパーさんは諦めて、
出かける前にオニギリと出し巻き卵とホウレン草の胡麻和え、という簡単な昼食を用意して行った。

普段、義母一人で半日留守番、というのは殆どないので、
とりあえず終わったら飛んで帰ってきて、
無事を確認して、ようやくやれやれ、という感じ。

来年は木曜だからまだいいけど、
再来年は金曜でヘルパーさんも来ないし、
午後理学療法士がリハビリに来るので、
私は欠席かな。
まあ当家でなければ構わないだろう。
それ以前に、2年後に今と同じ状況かどうかも分からないけど。


当家が回って来ると面倒臭い事もあるけれど、
この千度講、天正6年から続いているんだそうで、
今年で442年目だとか。
元々千年続けよう、という趣旨で千度講と名付けられたという話だが、
まだ半分も来ていない(笑)

地元を離れる方も増えてきて、
参加されるお宅が段々と減っているのだが、
そういう話を聞くと、ここにいる以上はまだまだ頑張らないと、と思う。

とりあえず向こう数年は行くだけでいいので(笑)
食事と会話を楽しもうっとニコニコ