旧優生保護法のもとで、
障害などを理由に不妊手術を強制された人たちが国に賠償を求めている裁判のうち、
仙台や東京などで起こされた5つの裁判の判決が、
最高裁判所大法廷で言い渡された。
「旧優生保護法の立法目的は当時の社会状況を考えても正当とはいえない。
生殖能力の喪失という重大な犠牲を求めるもので個人の尊厳と人格の尊重の精神に著しく反し、憲法13条に違反する」と指摘。
また、障害のある人などに対する差別的な取り扱いで、
法の下の平等を定めた憲法14条にも違反するとして、
「旧優生保護法は憲法違反だ」とする初めての判断を示した。
そのうえで「国は長期間にわたり障害がある人などを差別し、重大な犠牲を求める施策を実施してきた。
責任は極めて重大」として原告側の訴えを認め、
5件の裁判のうち4件で国に賠償を命じる判決が確定し、
残る1件、宮城県の原告の裁判については、
訴えを退けた2審判決を取り消し、
賠償額などを決めるため仙台高等裁判所で審理をやり直すよう命じた。
また国が主張した、
不法行為から20年が過ぎると賠償を求める権利がなくなるという「除斥期間」については、
「この裁判で、請求権が消滅したとして国が損害賠償責任を免れることは、
著しく正義・公平の理念に反し容認できない」として、認めなかった。
つまりは原告の全面勝訴と言える。
だが、こんな滅茶苦茶な人権侵害この上ない法律が、
規定が削除された1996年まで48年も続き、
25000人もの人が被害を受けてきた、という事実を考えると、
日本という国の人権意識の低さに絶望する。
やっとまともな判断が出た、とは思うが、
だからと言って被害の回復はできないし、
保障をされたとて、
失われた時間や人生は戻ってこない。
それでも憲法判断をする最高裁大法廷が、
15人の裁判官の全員一致で、
違憲である、と判断した事で、
漸く前に進めると感じた人もいるだろう。
長い闘い、お疲れ様でした、と伝えたい。
そしてこの上は速やかに、
賠償体制を進めて頂きたい。
今回の違憲判断は13例目だそうたが、
その最初の1例目が、
1973年の尊属殺人だった。
この事件については、
以前に書いた事がある。
折しも今朝の朝ドラ、虎に翼で、
戦後間もなく尊属殺の合憲判断がなされていた、というくだりがあった。
73年に違憲判断がされるまで、
何度も憲法判断という壁に跳ね返されてきた訳だ。
虎に翼の時代から25年経って漸く、
この不条理が認められたが、
この裁判でも高裁の判事はとんでもない事を言っている。
東京高裁での裁判長は、この全面的被害者だった女性に
「30才から40才にかけての働き盛りに何もかも投げ打って被告人と暮らしたお父さんの青春を考えたことがあるか」と言ったのだ。
「被告人とお父さんの関係は、いわば’本卦がえり’で、大昔ならあたりまえのことだった」とまでも言っている。
近親相姦を肯定する、ってあり得ないよ。
しかも14才から父親によって強姦され続け、
子供を5人も産まされ、
6人も中絶させてる、って。
それを大昔なら当たり前だった、と言ってのけるこんな人物が、
高裁の裁判長だったと考えると暗澹たる思いがする。
戦後26年経っても、
当時の人権意識、特に弱者に対するそれは、
そんな物だったのだ。
だから旧優生保護法による人権侵害も、
見過ごされ続けて来た。
やはり障害者が社会的弱者だったからだ。
だが最早そんな時代ではない。
障害にしても、遺伝性の物もあるだろうが、
そうではない物も多い。
そしてたとえ遺伝性の障害を持っていたとしても、
子供を産むか産まないか決めるのは、 国家ではなく本人達なのだ。
そういう基本的な人権意識が乏しい時代に作られた法律の影響が、
現代にまで及び、
今だその被害がそのままにしてきた事を、
日本人の1人として被害者の皆さんに謝罪したい。
そして同じ失敗を繰り返さない、と、
肝に銘じたい、と思う。
全面勝訴、おめでとうございます。
国には今回の原告だけではなく、
高齢化している全ての被害者への保障の仕組みを、
1日も早く作って頂きたい。