事件から4年経って、
やっと初公判が始まった。
青葉真司被告自身が、
大火傷で死線を彷徨い、
治療に時間がかかった事と、
責任能力があるかないかを判定する為の、
精神鑑定にも時間がかかったからだ。
この事件についてはこれ。
結果、検察は責任を問える、と判断し、起訴した。
一方、弁護側は、心神喪失もしくは心神耗弱を主張している。
この裁判では事実関係は争ってないので、
ポイントはただ1つ、
青葉被告に、責任能力があったか否か、だ。
当然、検察側は、
完全責任能力があったと主張するし、
弁護側は責任能力が無かった、と言う以外、
弁護の方法が無いだろう。
実際の所はどうだったのか?
これは私見だが、
極めて計画的に事を進めている状況を見ると、
責任能力が無かったとは思えない。
ただこの手の鑑定で難しいのは、
あくまで「犯行時にどうであったか」を、
判断しなければいけない事だ。
誰も「犯行時」の精神鑑定はできないので、
後日の言動から推測しなければならない。
その精神鑑定についても、
罪を逃れる為に色々と入れ知恵する者もいるだろう。
元々が本人の内面の話なので、
事実認定も難しい。
やった事自体は、
どう考えても常軌を逸しているので、
弁護側は、正常な精神状態では無かった、と、
少なくとも精神耗弱には持っていけると思っているのかもしれない。
それを判断するのが、
素人の裁判員だから、
話はよりややこしくなる。
だが、被害者や被害者遺族が最も知りたいのは、
青葉被告が何故こんな事をしでかしたのか、
そしてその時はどう考えて犯行に及んだにせよ、
今はどう思っているのか、だろう。
それで亡くなった人が戻ってくる訳では無いが、
何故?の思いに少しでも応えるのが、
今となっては被告のできる唯一の事だ。
聞いても納得できるとは思えないが、
真摯に向き合い、
自分の口で、自分の言葉で語る事が、
何であんな奴を助けるんだ、と言われながら、
懸命に命を繋いだ医療関係者に、
報いる唯一の方法でもあるのだから。
この公判を通じて、
青葉被告が、何を語るのか、
そして被害者参加制度で質問をする被害者遺族の問いに、
どう答えるのか、
注視していきたいと思っている。