「母ぁちゃん、海が知ってるよ」(1961年作品)感想 | 深層昭和帯

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映画、ドラマ、アニメ、特撮など映像作品の感想を中心に書いています。

斎藤武市監督による日本のドラマ映画。出演は浜田光夫、南田洋子、宇野重吉。

 

 

<あらすじ>

 

さびれた漁村で暮らす諸住愛吉は、息子の一男と暮らしていた。あるとき彼は、都会から子持ちの若い女性康子を後妻として娶ることになった。康子の10歳になる息子・信男とともに越してきて、家の中も華やいできた。そこで愛吉はますます仕事に精を出すようになった。

 

ところが、漁業も大手の大型船が羽振りをきかす時代になっていた。愛吉は仲間の矢蔵と組んで船をしつらえる。矢蔵の息子・慎次には美代子という恋人がいたが、彼女の父が禁漁をしている現場を目撃してしまう。組合で裁判があり、美代子の父には罰金5千円と組合追放が言い渡された。

 

美代子の家は貧しかったため、彼女は東京に働きに出ねばならなかった。慎次は彼女のために、大手のサンマ漁船に乗せてもらうことになった。大手は愛吉らのような零細漁業者を圧迫している張本人であったが、背に腹は代えられなかった。そして愛吉の家も徐々に困窮してくる。

 

何とか金を稼ごうと、嵐の夜、愛吉と矢蔵は船を出した。大荒れの海で行灯が倒れて火事になった。愛吉は死体となって流れ着き、その葬式が終わると、諸住家はバラバラになることが決まった。その前に父と喧嘩していた一男は、都会へ働きに出ることが決まっていたが、やはり思いとどまり、母の下へと走った。

 

<雑感>

 

わずか1年足らずしか一緒にいなかった父の後妻を、勇気を出して「母ちゃん」と呼ぶシーンで号泣する。おっさんなのですぐに泣くのだ。「ととさま、かかさま」で泣く。旅一座の公園なんか、周りのジジババと一緒に泣いて見ている。

 

貧しい漁港にも大手の船が幅を利かせるようになって、零細漁業者はどんどん隅に追いやられていく。生活に困って悪天候の中でも船を出し、死んでしまう。これも昔のリベラルが訴えてきたことだ。宇野重吉はこういう映画に多く出演していたな。良い役者だった。

 

だがオレの琴線に引っかかったのは、家系の断絶を言い渡され、絶望した康子の下に父の連れ子の一男が戻ってくるシーンだった。たった1年でも親子は親子。いまではどうなんだろう? こういうことって起こるのだろうか? 貧しくとも幸せとはこういうことを指す。

 

☆5.0。余命数か月でしかドラマを作れなくなった現代の映画人はこういうのを見習ってほしいものだ。