「ダイアモンドは傷つかない」(1982年作品)感想 | 深層昭和帯

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映画、ドラマ、アニメ、特撮など映像作品の感想を中心に書いています。

藤田敏八監督による日本のドラマ映画。出演は田中美佐子、山崎努、加賀まりこ。

 

 

<あらすじ>

 

越屋弓子は、予備校講師の三村一郎に憧れを抱いていた。三村には妻がいたが、ノイローゼ気味で、世間の評判ほどにはうまくいっていなかった。三村には愛人もいたが、彼女は三村のためにならない女だと弓子は考えた。

 

弓子は早稲田大学に合格した。三村は合格祝いとして多くのプレゼントをくれた。そして弓子は気づく。大人の世界には秩序があり、自分は背伸びをしてそれを壊していただけなのだと。そして大人のふりをするのはもうやめようと。

 

<雑感>

 

80年代が貧乏臭くて泣ける。わしらはこんな貧乏な時代に育ったんだなって。あれから40年が経ったけど、世の中はなんだかんだで豊かになっている。暮らしの質が違うもんな。

 

主人公の弓子は、「背伸びした少女」というステレオタイプなキャラクターで、人物造形としてはありふれている。田中美佐子はそんなありふれた、パブリックイメージをそのまま演じているだけで、「清楚な女性が内包している性欲」を仄かに匂わす役どころだ。

 

ペドフィリアすれすれのところを狙っていて、ゆえに当時から「きわどい」とかそういう表現で論評されていたはずだ。「ロリータ」の派生作品と言っていい。ただそこまで性欲中心の表現ではない。

 

大人の女性の中にひとりだけ子供が混ざっている感じがよく出ているのは、田中美佐子の存在感によるところが大きい。

 

☆3.0。ジョジョネタ封印。