「ニトラム NITRAM」(2021年作品)感想 | 深層昭和帯

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映画、ドラマ、アニメ、特撮など映像作品の感想を中心に書いています。

ジャスティン・カーゼル監督によるオーストラリアのドラマ映画。出演はケイレブ・ランドリー・ジョーンズ、ジュディ・デイヴィス、エッシー・デイヴィス。

 

 

<あらすじ>

 

いつまでも花火遊びをやめられず近所からは厄介者扱いされているニトラム。母は彼を「普通」の若者として人生を謳歌してほしいと願う一方、父は彼の将来を案じ出来る限りのケアをしようと努めている。サーフィンに憧れ、ボードを買う資金を買うために芝刈りの訪問営業を始めた彼は、ある日、ヘレンという女性と出会う。

 

ニトラムの本名はマーティン・ブライアント。彼には知的障害があり、花火遊びをやめないことから近所の鼻つまみ者だった。花火代を稼ぐために芝刈りのバイトをしていたニトラムは、豪邸に住むヘレンに気に入られ、多額の賃金の他に車まで買ってもらった。両親と上手くいかなくなったニトラムは、ヘレンの家に転がり込んだ。

 

そんなおり、事故でヘレンが死んでしまった。ニトラムは一命をとりとめ、そのまま彼女の家に居座った。ヘレンの遺産を相続したニトラムは、アメリカ旅行で銃を大量購入し、遊び散らかした。父が自殺して死んでもお構いなしだった。母はニトラムを嫌うようになっていた。

 

そして彼は、タスマニア島のポート・アーサーで無差別銃乱射事件を起こした。

 

<雑感>

 

いつも思うのだが、犯罪者視点の映画って意味があるのだろうか? 犯罪者は何かが間違っているから犯罪に走っているわけで、犯罪者自身が自分の行動をどう言語化していようがその行為は間違っている。間違った主張を映像化する意味ってなんだろうと。

 

しかもニトラムの場合、知的障害があって責任能力がないとされている。責任能力のない人間の行動原理を知ってどうなるのだろうと。それを言語化、脚本化、映像化する意味ってあるのか。オレはないと思うんだよな。

 

一応銃規制の不備を指摘する終わり方になっているが、劇中にそれらしき描写や意図は感じられなかった。

 

☆2.5。映画は感情移入させるものだ。知的障碍者に感情移入させる意味とは?