「薔薇はなぜ紅い」(1935年作品)感想 | 深層昭和帯

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映画、ドラマ、アニメ、特撮など映像作品の感想を中心に書いています。

キング・ヴィダー監督によるアメリカの恋愛映画。出演はマーガレット・サラヴァン、ウォルター・コノリー、ランドルフ・スコット。

 

 

<あらすじ>

 

ポートベロ農園を管理するマルコム・ベッドフォードの家に、共同管理者として従兄弟のダンカンが住んでいた。マルコムの娘ヴァレットは、ダンカンが好きで結婚を望んでいた。当のダンカンはヴァレットを子供扱いして相手にしていなかった。

 

リンカーンの奴隷解放宣言により、南北戦争が勃発していたが、ダンカンは戦争に反対の立場だった。そんな折、サルター砦が北軍に占領された。いきり立った村の若者たちは南軍に志願した。ポートベロ農園からも末っ子が参戦したが、すぐに戦死の知らせが届いた。勢いづく北軍は農場の近くまでやってきて、マルコムに道案内させた。

 

屈辱を感じたマルコムはついに南軍に加わる決意を固めた。ベッドフォード家の長男エドワードも出征して、ついに戦死した。その死体を発見したダンカンは、ついに南軍に志願することになった。農園から男たちがいなくなった後、北軍勝利の知らせが舞い込んだ。

 

農園の奴隷たちは解放の喜びに羽目を外した。女たちはひたすら働き、男たちの帰りを待った。マルコムは傷つきながらも農園に戻ってきたが、すぐに死んでしまった。半年後、ついにダンカンが戻ってきた。彼は捕虜になっていたのだ。ヴァレットが抱き着き、彼を迎えた。

 

<雑感>

 

「風と共に去りぬ」みたいだ。でもこの映画は1935年公開作で、「風と共に去りぬ」後悔の1年前なんだよな。設定が似ているだけなのか? 南部では誰もが知っているような、あるいは体験談として親などから聞かされているような設定なのだろうか?

 

ポートベロ農園のベッドフォード一家の話だが、戦争に負けるまでは農家とは思えないほど裕福な暮らしをしている。その裕福さは奴隷がもたらしているものなのだが、その前に、南部に住んでいたアメリカ人の貴族的な生活に目が行ってしまう。ここがまさに「風と共に去りぬ」なのだ。

 

フランスの女王の髪型を真似てみただの、埃まみれの農場なのにキラキラのドレスを着ているだの、まさに南部的な貴族そのもの。それが南北戦争に敗北して奴隷が解放されたとたん、自らの手で農園を維持しなければならなくなった。奈落の底に突き落とされるようなものだ。

 

もともと奴隷を前提にした豊かさなのだから、なかったようなものではあるのだが、当事者はその落差に苦しんだことを記憶にとどめ、文学に昇華したかったのだろう。その気分はわからなくもない。一度見た華やかさと、それを失った経験はまさに文学的であろうからだ。

 

三島由紀夫も、戦前と戦後の断絶、精神的な断絶に最後までこだわった。ただ「奴隷がいなくなって貧乏になっちゃった」とか「戦争に負けて焼け野原にされちゃった」とは違う、心に入ったひび割れを、すべて砕けてしまわないように必死に抑える感覚みたいなものがあるのだろう。

 

☆5.0。とにかく驚いたのは、「風と共に去りぬ」出版以前にこの映画が作られたことだ。