「おヤエの身替り女中」(1959年作品)感想 | 深層昭和帯

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春原政久監督による日本のコメディ映画。出演は若水ヤエ子、中村万壽子、森川信。

 

 

<あらすじ>

 

商店街の福引で温泉旅行を当てたおヤエは、さっそく旅館に向かったものの、旅館の女中キヨが、借金のために故郷に帰れず、病気の父親の見舞いも出来ないと口にするのを聴いていても経ってもいられなくなり、自分が代わりに旅館の女中として働くと言い出した。

 

キヨは故郷へと帰り、おヤエはせっせと働いた。この仕事ぶりがあまりに素晴らしいので旅館は彼女を手放すのが惜しくなり、帰省から戻ったキヨを別の旅館へとやった。そうと知らないおヤエは期日を過ぎても働き続けた。当のキヨが騙されたと気づいてようやくおヤエは解放されたが、奉公先には新しい女中がすでに雇われていた。

 

おヤエはひとり寂しく去っていくのだった。

 

<雑感>

 

昭和の時代、丁稚奉公というものがあった。主に田舎から出てくる右も左もわからない子供のような年齢の子を商人などが預かって、働かせる代わりに養育や教育の義務を代行することを言う。こういう丁稚奉公制度によって、商人は才能のある子を英才教育したり、職人であれば一人前にしたり、職業訓練にたっぷり時間をかけることができた。

 

女性の場合は多くはこの映画のような女中であった。女中は田舎の子なので訛っており、その矯正や田舎生活では身に付かない躾などを上流家庭でやってもらい、給金を貰い、寝場所と食事を保証された。

 

こうした日本ならではの、というより外国も同じようなものだったのだが、制度がなくなって、学校教育に一本化された。丁稚奉公や女中奉公は、時代遅れなものとして否定されていった。だがこれが、のちに大問題となる。学校教育は、職業訓練の代わりにはならなかったのだ。

 

ということを書き始めると長くなるのでまた別の機会に譲るが、田舎の無教養な子でも、純朴さと生真面目さで働く場所のあった時代と比較して、現代はよりよくなったと言えるのだろうか?

 

☆3.0。江戸時代には、「半助」といって、知的障害のある人間さえも働くところがあった。彼らはちゃんと自活していたのだ。