「僕たちは希望という名の列車に乗った」(2018年作品)感想 | 深層昭和帯

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映画、ドラマ、アニメ、特撮など映像作品の感想を中心に書いています。

ラース・クラウメ監督によるドイツのドラマ映画。出演はレオナルド・シャイヒャー、トム・グラメンツ、レナ・クレンク。

 

 

<あらすじ>

 

東ドイツに住むテオ・レムケと親友のクルト・ヴェヒターは、ベルリンの壁が存在しない時代、西ドイツに旅行して娯楽映画を楽しんだ。そんなとき、ハンガリーで民衆蜂起が起こり、多数の犠牲者が出た。テオらは、犠牲者のための黙祷を企画する。

 

ところが、社会主義国家において、民衆蜂起はあってはならないことだった。学校側はこれを問題視して、さっそく調査を開始。テオとクラスメイトは口車を合わせるものの、学校側は彼らを分断させるために工作を仕掛けてくる。そして次々と首謀者はクルトだと口を割ることになった。

 

そんななかで、親が元ナチスの協力者だと暴露されていき、クルトはテオを誘って西ドイツ行きを持ち掛けるものの、テオはそれを断った。クルトはひとりで駅へ行くが、そこで動きを怪しんだ駅員に捕まってしまう。助けたのは父だった。父は、息子がまるでただ遊びに行くかのように振舞い、駅員はそれを信用した。

 

残された黙祷に参加した生徒たちは、全員退学の危機に陥るものの、誰にも責任を被せることなく全員が「自分こそ首謀者だ」と名乗り出た。そして全員が退学処分となる。

 

彼らは話し合った挙句、全員で西側に亡命することになった。テオの家族は、そうと知りながら息子を見送るのだった。

 

<雑感>

 

左翼ダンマリ映画。左翼というのはありとあらゆることを間違っているものだが、「独裁は中世的な価値観から生まれる」もそのひとつ。独裁というのは王様になることだから、そうではなく合議制の社会主義がいいというわけだが、もちろん社会主義も合議制になる。

 

社会主義=左翼は、自分たちが決して独裁的にならず、人民に常に支持されていることを前提にしているので、ハンガリーで起きたような政府批判の民衆蜂起は、存在してはならないものとして完全に弾圧される。中国の天安門事件のようなものだ。

 

独裁は、指導体制の問題ではない。その場にいる現代的価値観に頼り、合議を得るのに個人の指導力に頼れば、それは左右を問わず独裁に近づく。

 

価値観を慣習や伝統にまで拡げ、合議を得るのに多数決などの手段を使えば、独裁から遠ざかる。

 

であるから、左翼が考える「独裁は中世的な価値観から生まれる」はまったく間違っており、王権であっても、意思決定を下すための価値観が現在や過去に偏らず、より多数の意見を尊重できれば、独裁には相当しないのだ。

 

☆4.0。左翼はもっと学んで賢くなるべきだ。