中学に入り、本格的に部活を始める一方で、音楽や美術、文学に興味を持ち始めた。
子供のころから本が好きで、物語が大好きだったことが始まりだった。本を読めば自然と挿絵に触れることになる。印象的な挿絵に出会うたびに読書の手を止め、絵に見入るのだが、いかんせん知識がないからその絵の何が良くて目に留まったのか言語化できない。とてももどかしい。
小6になって栗本薫の「グイン・サーガ」を読むため、SFマガジンを初めて購入した。あの雑誌には素晴らしい絵がたくさん掲載されている。グインの挿絵は加藤直之画伯だった。その迫力ある絵柄に惹きつけられる。
小6のときには「機動戦士ガンダム」が放送された。すると、ガンダムのデザインに惹きつけられ、大河原邦男という人物がメカニックデザインであると知る。もっと子供のころに、アニメの背景を描いていた椋尾篁という人物の名前も憶えていた。そうした絵というものへの興味を持ったまま、中学生になったのだ。
絵に興味を持ったはいいが、美術の本は高価である。興味を持っても中学生の小遣いではおいそれと買えない。本屋でウロウロしながら見つけた本が「月刊moe」であった。
絵本の挿絵などを描いている画家を取り上げたファンシーな月刊誌なので、数百円で購入できる。これなら小遣いで買えるぞと、クリクリ坊主頭の柔道部員の癖に、「月刊moe」を買うようになった。さすがに恥ずかしいので、「病弱な妹のために毎月雑誌を購入して届ける優しい兄」という脳内設定を作り、さも面倒くさそうにレジに並んでいた。
その「月刊moe」で紹介されていたのが、おおた慶文の美少女画であった。
水彩でこんな魅力的な絵が描けるのかと驚いたものだ。美少女を題材にした絵画は、水彩油彩を問わず数多いし、もっと素晴らしい作品も星の数ほどあるのだろう。だが、評論家の解説なしでパッと人を引き付ける魅力のある作品は、言うほどたくさんあるだろうか?
こういうのは、技術の問題ではない。おおた慶文の画集を持っていることで、「これくらいの絵なら、美大生であれば誰でも描ける」と鼻で笑われたこともある。だがそういう問題だろうか? おおた慶文ほど多くの画集を発売できた水彩画家は何人いるだろうか?
描ける描けないの問題ではない。魅力があるかどうかの問題なのだ。売れたバンドと音大生みたいなものだ。そこには絶望的なほどの大きな差がある。
美術界のトレンドだとか、界隈で有名な新人だとか、そういうことは一切知らないまま、美術というものに触れてみたい一心で月刊誌を買っただけだ。知っていることなどほんのわずかな知識だけなのだが、それでも中学生のオレには十分だった。「月刊moe」で紹介されている画家の絵は、眼球と脳を介してオレの中にどんどん吸収されていった。
そんな中学生のあるとき、ヤマハだったか河合楽器だったか忘れてしまったが、レコード店の窓ガラスに、沢田聖子のポスターを見つけた。
発売されたばかりのライブアルバムの宣伝ポスターだった。
このジャケットが、脳内でおおた慶文の絵と結びつき、すぐにその店の中に入ってアルバムを買い求めた。
この微妙におおた慶文っぽい感じがおわかりだろうか? いや別にわからなくてもいいけどさww 眼の感じとか、陰のつき方とか、オレンジっぽい色彩とか、可愛らしい頬っぺたとか、そういうものが総合的に脳内で結びついたのだ。
沢田聖子という歌手は、テレビに出まくるアイドルのように有名ではなかったが、すごく印象的なジャケットと宣伝ポスターだったので、この「SHOKO・LIVE」を覚えている人は多いだろう。
生まれて初めてジャケット買いしたのがこのアルバムである。
沢田聖子「シオン」
おおた慶文は、アイドルや女優をイメージした作品が多い。絵を見て、「これは(当時有名だったスケバン刑事役の)斉藤由貴だな」とわかる作品が多い。でもオレの中で一番「おおた慶文っぽい写真」はこのアルバムジャケットだったのだ。
まぁ、思春期だったからね。しょうがないね。