「殺しが静かにやって来る」(1968年作品)感想 | 深層昭和帯

深層昭和帯

映画、ドラマ、アニメ、特撮など映像作品の感想を中心に書いています。

セルジオ・コルブッチ監督によるイタリア・フランスの西部劇映画。出演はジャン=ルイ・トランティニャン、クラウス・キンスキー、ヴォネッタ・マギー。

 

 

<あらすじ>

 

1898年雪深いユタ州スノーヒルの町。ロコ率いる賞金稼ぎの無法者集団がいた。彼らは賞金首はおろか無垢の人間をも手にかける冷酷非情さで人々から恐れられていた。無抵抗の夫をロコに殺された未亡人ポーリーンはある男に復讐を依頼する。

 

雪原の彼方からやって来たその男の名は“サイレンス”。賞金稼ぎのみを獲物とし、彼が通り過ぎた後には“死の沈黙”が 訪れることからその名が付けられた凄腕の殺し屋だった。

 

一方、スノーヒルの町はロコとその一団、そして彼らを利用して町を牛耳る悪徳判事ポリカットに支配されていた。ポーリーンの家に招き入れられたサイレンスはロコを挑発し、決闘の機会を伺うが、狡猾なロコはなかなか応じない。

 

そんな中、サイレンスの凄惨な過去が次第に明らかになっていく。彼は幼い頃に無法者一味に両親を殺され、自らも声帯を切り裂かれ声を奪われた。そして彼をそんな目に会わせた一味のひとりが他ならぬ判事のポリカットだったのだ。

 

サイレンスは、ロコとポリカットに復讐を挑むが、ポーリーンとともに殺されてしまった。

 

<雑感>

 

雪原を舞台にした珍しいマカロニウエスタン。勧善懲悪ものではなく、アメリカという無法地帯で起こる不条理を描いた異色の作品。とはいうものの、アメリカの本場の西部劇は、勧善懲悪、悪は原住民という構図が多いので、彼らの「勧善懲悪」そのものが不条理ともいえる。

 

ヨーロッパから見ると、司法制度すら整備されていない白人優先社会は嫌悪の対象で、自国で法に関する不正義が見つかると、「まるでアメリカのようだ」と嘆いていた。アメリカというのはその程度の国の印象だったのだ。

 

そうした背景があるため、イタリア制作の西部劇は、本場の西部劇より血なまぐさく残酷である。アメリカにとっての西部劇はいわば時代劇だが、イタリアにとっては「不法」「不条理」「不義理」「不道徳」、つまり野蛮な世界として表現されている。

 

そんな背景が如実に示された作品と言っていいだろう。

 

☆4.0。アメリカは西部劇で正義を描いたが、イタリアは西部劇で悪を描いた。そう記憶しておくといろいろ分かりやすい。