「アントニオ猪木 名勝負10選」(1995年作品)感想 | 深層昭和帯

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アントニオ猪木の名勝負集。

 

 

<あらすじ>

 

①ストロング小林戦(1974年NWF世界ヘビー級選手権)

 

②タイガー・ジェット・シン戦(1975年NWF世界ヘビー級選手権)

 

③ビル・ロビンソン戦(1975年NWF世界ヘビー級選手権)

 

④アンドレ・ザ・ジャイアント戦(1978年MSGシリーズ優勝戦)

 

⑤グレート・ムタ戦(1994年INOKI FINAL COUNT DOWN 1st)

 

⑥ビッグバン・ベイダー戦(1996年INOKI FINAL COUNT DOWN 5th)

 

⑦ウイリエム・ルスカ戦(1976年格闘技世界一決定戦)

 

⑧ザ・モンスターマン戦(1977年格闘技世界一決定戦)

 

⑨マサ斎藤戦(1987年IWGPヘビー級王座決定戦)

 

⑩藤原喜明戦(1995年INOKI FINAL COUNT DOWN 4th)

 

<雑感>

 

こうしてみると、ムタは華があるよなぁ。

 

小学生のころ、金曜の夜といえば新日本プロレスの中継だった。メインイベントはもちろんアントニオ猪木。ピュアな少年だったので、プロレスは真剣勝負だと思い込んでいた。B.V.Dの下着(当時スポンサーだった)をねだって買ってもらうほど好きだった。

 

やっぱり猪木は格好良かった。

 

アントニオ猪木も語られつくした人なので、オレが何か解説的なものを書くとすれば、個人的な印象になってしまう。これは猪木のバイオグラフィーというより、子供のころのオレの記憶の中の猪木である。実際の猪木とは若干ズレがあるのが個人の印象というものだ。

 

物心ついたとき、猪木はアニメ「タイガーマスク」に実名で登場する大スターだった。スポーツ界でアニメに登場するような大スターは、長嶋・王、馬場・猪木くらいだった。プロレスというものを知ったのも、「タイガーマスク」のアニメが先である。

 

アニメの中では馬場の方が格上とされていたが、プロレスの中継を見始めると、金曜の夜に放送されている「ワールドプロレスリング」は、全日本プロレスの中継より華やかで、特別なものだった。実際は全日本の方が外国人レスラーが豪華だったのだが、金曜の夜なんて特別な時間に中継しているだけで違って見えたのだ。

 

猪木の激闘は、昭和の時代はあまりにも時間が長く、実をいうと退屈な部分もあった。レスリングテクニックなんて知らないのだから当然である。だが猪木は、客が退屈していると感じると何かやってくれるので目が離せない。でも何もないときは退屈している。そんな感じでテレビを見ていた。

 

猪木が特別になったのは、モハメド・アリとの戦いを経て格闘技世界一決定戦を始めてからだ。それまでの「試合に勝ってベルトを守る」あるいは「シリーズ序盤に奪われたベルトを最終戦で取り戻す」だけの展開から、「世界一強い男を決める物語」へと進化したのだ。

 

そのころの猪木の身体はボロボロで、それどころではなかったのだが、「世界一強い男を決める物語」への期待は大きく、猪木は辛そうな顔をしながらも、観客を引っ張っていった。格闘技世界一決定戦は、ウィリー・ウィリアムス戦が期待外れで失速したが、そのあとにIWGPを創設して、「世界一強い男を決める物語」を引き継いでいった。

 

藤波辰爾、タイガーマスク、前田日明ら若い選手がどんどん出てきていたので、猪木はIWGPチャンピオンになって引退するのだろうなと、そのころは考えていた。

 

ところが、格闘技世界一決定戦が消化不良に終わったからなのか、プロレスの未来に希望を見いだせないでいたからなのかわからないが、猪木はのちに総合格闘技となる道筋を佐山聡や前田日明に託し、自分もいずれ合流すると言いながら彼らを見捨てた。

 

もうこのころとなると猪木への期待などまったくなくなっていたので、人気は修斗やUWFに移っていく。あれだけ格好良かったアントニオ猪木はフェードアウトである。これは少し寂しい印象をオレに与えていた。猪木はもっと華々しく引退すると確信していたからだ。

 

オレの中での猪木はここで終わっている。ここが印象と現実の違うところだ。

 

猪木は、INOKI FINAL COUNT DOWNなどを経て華々しく引退している。客入りも上々で、フェードアウトしたわけではない。それなのにオレの中で引退に関する印象が悪いのは、やはり「プロレスが最強の格闘技であることを証明して世界一強い男になる」物語を背負いきれなくなったことが悪い印象となっているのだ。

 

IWGPがその役割を果たすと期待したのに、第1回から期待を裏切るメンバーしか集められず、上手くいかなかったのだ。

 

それでも猪木はやはり特別な存在だった。猪木が身体を張って「世界一強い男を決める物語」を背負ったからこそ、総合格闘技は生まれた。漫画「グラップラー・バキ」もそうだ。「ドラゴンボール」の天下一武闘会もそうだろう。この功績はもっと評価されてしかるべきである。

 

あとはプロレスがもうちょっと頑張ってくれたらなと願わずにはいられない。新日本プロレスは頑張ってはいるが、猪木の心躍る物語に触れた世代にとっては少し物足らない。