「AIの遺電子」(2023年夏作品)第3話 感想 | 深層昭和帯

深層昭和帯

映画、ドラマ、アニメ、特撮など映像作品の感想を中心に書いています。

原作:山田胡瓜、監督:佐藤雄三、S構成:金月龍之介、Cデザイン:尾崎智美、制作:マッドハウス。



第3話 心の在処

壊れたクマのぬいぐるみ型ロボット・ポッポを修理した須堂。持ち主の少年は大喜びだが、母親はポッポに強く感情移入する息子を心配していた。時を同じくして、ある女性が恋人ロボットのジョーに別れ話を切り出していた。人間の恋人ができて、ジョーとの生活を続けられなくなったのだ。人の心を癒すために作られたポッポとジョー。2体のロボットの運命が邂逅する。

<雑感>

サブタイトルは「心の在処」だが、それを追求するような内容ではなかった。人間の記憶とロボットのメモリの違いくらいの話。まるで「心」が記憶情報や思い出といったものに依拠しているかのような描き方だった。収集した記憶情報を感情によって分類するのが心の働きだと思うのだが。

さらにその「心の働き」が脳内物質の分泌によって左右されることもわかってきており、母のぬくもりで安心する人間と、同じものを与えられても激怒したり母親を殺したり子供の反応は様々だ。これらは遺伝的な形質で分泌されやすい脳内物質が違うからだと言われている。ロボットにはそれがない。ロボットの情報分類に脳内物質なりそれが生み出す感情は存在しない。

つまりロボットには「心」と定義づけされるものはない。劇中では「与えられたプログラムに基づいて返答しているだけ」だからロボットに心はないとされていたが、的外れな考察ではなかろうか? もしかすると、「与えられたプログラムに基づいて返答している」のがロボットで、「ヒューマノイド」は自分で考えて返答するから「心がある」もしくは「心がある可能性がある」と言いたいのかもしれない。

まだ3話なので、もうちょっと様子を見る。面白くなることを期待。