「君たちはどう生きるか」(2023年作品)感想 | 深層昭和帯

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映画、ドラマ、アニメ、特撮など映像作品の感想を中心に書いています。

監督:宮崎駿、制作:スタジオジブリ。



<雑感>

情報を出さないそうなのであらすじは割愛。少年が最愛の母を亡くし、継母となった女性に対して複雑な感情を持つ中で、それを受け入れる過程で自我を形成していく話。少年が庇護される側から自分は庇護する側なのだと気づいたときに自分、「個」を発見する。そんなところだ。

まず目を引いたのがアニメーションの素晴らしさ。演出も冴えている。視野が狭まるシーンがあったはずだが、あれは何気ない演出かもしれないけれども、世界と自分の隔たりに気づくことに繋がっていくようにも思えたな。その後の展開から察するに、だが。

この作品は「自分はこう生きた」という話であって、「お前はこう生きろ」という話ではない。そこを勘違いしてはいけない。誰にも説教などしていない。むしろすべてを肯定している。

伯父さんが残した塔、空から降ってきた塔というのは、戦争や、戦争で財を成した宮崎駿の実家のことで、そうしたもろもろの自分の置かれた立場から自分は違う道を歩む、歩んだとの自負があり、その一方で戦争はたまたま起こったこと、宮崎家の歴史の中では特殊な一瞬で、家業について思うところがあっても、家族の系譜は否定しない。それは母性への冒涜になるくらいのメッセージならある。

母は子を産み、子は自立して旅立っていく、その繰り返しはしっかりと受け入れていくのだとの決意にもなっている。

劇中で使われている「君たちはどう生きるか」の原作についても、本の内容のことはどうでもよく、少年少女の自立・旅立ちと、家族の繫がりの肯定は別物くらいの意味で使われていた。「君たち」はあくまで個々人であり、宮崎駿にとって他人であって、深く干渉したり、教導するつもりなどまったくないが、それとは別に自我を確立して自分の道を歩むのは当たり前のことであろうと自分を語りながら提示しているのだ。

「風立ちぬ」でうっすらと触れていた宮崎家の稼業(戦闘機の部品製造)と自分のことが語り足りなかったのか、ちゃんと自分を主人公にした自伝になっており、それをファンタジー作品として昇華してある。ここが何といっても宮崎駿らしく、素晴らしい点だ。

自分にはこういうことがあった、「君たち」にもいろいろな家庭の事情があろうが、命は繋いできたものであり、どんな形であれ母となった人を敬いつつ、自分は自分の道を行け、まぁこれくらいのメッセージがある。後進への説教は一言もない。そんなことをいう奴は、宮崎駿の名前を使って他人を批判したいだけのクズ野郎であろう。

家業と決別して児童文学寄りのアニメーターになった宮崎駿が、戦争や戦争で儲けることを忌避しつつも、戦争で使われる兵器に心躍らせ、戦争の活劇に心奪われることの自己肯定でもある。戦争が嫌いなのに戦闘機が大好きだった彼らしいともいえる。

この作品には、宮崎駿の個人的な要素と、家族の系譜という一般的要素が混在している。それは誰しも同じなのだ。家族に捨てられて身寄りのない人間ですら、「捨てられた」という家族の系譜の物語がある。家族の形は一様ではなく、それぞれ固有のものだからだ。劇中で使われる「君たち」とは、宮崎駿も含むすべての個人のことである。

この映画は自伝的要素が強いため、思想性は遠い場所にある。人間は言葉を使って考えるので、その人物が生きた時代から切り離される言葉は使えない。未来に語り掛ける言葉は誰も持っていない。人類普遍の思想があると思い込むのは、近代の大きな過ちだ。思想性によって語り得ないことがテーマになっているのだ。

個人が自我を持ち、自分の道を生きることは、思想とは関係なくいつの時代にもあることだ。また、家族の物語は、思想など存在しなかった時代、もっと遡れば、人類が人類に進化する以前からあるものだ。自分の道が家業を継ぐことであったり、名跡を継ぐことになっても、それは「君たち」が選んだ道なのだ。

この作品には戦争が出てくるが、戦後の日本に起こった歴史の断絶や、思想の断絶、生き方の断絶は本作のテーマではない。宮崎駿は家業を継がずアニメーターになったという話であり、家族があったから自分があったと回顧するだけなのだ。

思想によって特定の何かを否定したら、それは「君たち」が選ぶ道の前に立ち塞がり、邪魔をすることになる。作品内から思想性を排除したのは、「君たち」の将来を(自分も含めた)「君たち」に託すためであっただろう。確か母からのメッセージのような扱いだったはずだ。

どんな立場の人間が、どんな道を選んだとしても、それが「君たち」の道であり、生き方なのだと肯定している。自分も他人も平等に肯定している。誰かの人生を否定する描写は見当たらなかった。

映画の事前情報がなかったために、レビューを少しだけ読んでみたのだが、息子の宮崎吾郎へのメッセージだの、新海誠へのメッセージだのと書かれたものがあったが、そんなものは微塵もなかった。もっと普遍的で一般的な物語だ。受け止め方はそれぞれとは言いつつも、あまりに酷いのはどうだろうか。

☆5.0。「オレのように生きろ」などと一言も言ってない。どんな人間かもよく知らない新海誠に説教するほど宮崎駿はバカじゃない。ちょっと戦争のシーンがあるとすぐ喜んじゃうバカがいるから困る。