「サムライ」(1967年作品)感想 | 深層昭和帯

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ジャン=ピエール・メルヴィル監督によるフランス・イタリアのドラマ映画。出演はアラン・ドロン、フランソワ・ペリエ、ナタリー・ドロン。

 



<あらすじ>

殺し屋のジェフ・コステロは、ナイトクラブの支配人・マルテを殺すよう依頼される。仕事を遂行したもののピアニストのヴァレリーに顔を見られ、店に出入りしていたことからジェフも重要参考人になってしまう。だが、ヴァレリーはジェフではないと証言したため、彼は釈放された。一方警察はジェフの怪しさを見抜いて尾行を開始する。

報酬を受け取りに待ち合わせ場所に向かったジェフであったが、依頼主は彼を殺そうとする。ジェフはヴァレリーの家に逃げ込んだ。ヴァレリーの目的がわからない中、さらにジェフは殺し屋として同じ人物から依頼を受ける。相手の名を聞くとレイだという。彼はヴァレリーを囲っている男でもあった。

警察のマークをかいくぐり、レイを射殺したジェフは、ヴァレリーのいるナイトクラブへ赴く。緊張する店内でジェフが狙いを定めたのはヴァレリーであった。彼女は、レイから報酬を受け取っていた。関係者は殺すのがジェフのルールであった。

だが、間一髪のところで警察に踏み込まれ、ジェフは射殺された。警官がジェフの銃を調べると、そこには銃弾が入っていなかった。

<雑感>

沢田研二の「サムライ」はこの映画がモチーフになって作詞されている。60年代当時、アラン・ドロンは日本でも大人気の俳優だった。こうしてみても渋くて、声もいいね。日活の映画もこうした路線を目指していたはずなのだが、脚本が浅すぎてまるで追いついていない。

この作品は、殺し屋のジェフが自分に課しているルールが作品の基本にある。最後、彼は「関係者は全員殺す」との自己ルールに沿ってヴァレリーを殺しに向かうが、もうひとつ「誰にも貸しを作らない」との自己ルールに従って銃弾をこめずにあえて射殺される。

生き残ることが行動原理になっていない男の格好いい死にざまなのだ。こだわりのある男が好まれた時代である。

☆5.0。フレンチ・フィルム・ノワールの傑作のひとつ。