「どろろと百鬼丸」(1969年作品)第10話(ばんもんの巻・その二)感想 | 深層昭和帯

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多宝丸の屋敷に招かれた百鬼丸は、またしても九尾の狐に襲われ、危うく倒されるところだった。



百鬼丸の腕を見込んだ醍醐景光は、己の息子と知りながら口にすることはできず、家臣となっていくさに出てみないかと持ち掛けた。いくさの嫌いな百鬼丸は直ちに断ったが、景光は諦めなかった。

面白くなかったのは多宝丸だった。侍を毛嫌いして挑発を続ける百鬼丸をなぜ討取らないのか腑に落ちない多宝丸は、百鬼丸を朝倉の間者と睨み、彼が屋敷の中をうろつくのを見逃さずに召捕ろうとした。

百鬼丸を助けたのは、醍醐景光の奥方であり百鬼丸の母であった。彼女は百鬼丸を部屋に招き入れて、多宝丸の追及をかわして逃げ出す機会を作った。ともに血の繋がりを感じた二人だったが、親に捨てられた百鬼丸は混乱し、その場を逃げ出すより他なかった。

そのころ簀巻きにされて川に流されたどろろは、助六という名の少年に拾われていた。助六はこの村にばんもんが建てられる前に朝倉領にある村の北側から魚を獲りにやってきて、そのまま戻れなくなってしまった少年だった。助六は村が分割されたいきさつを詳しく話した。

ばんもんの辺りはいくさが絶えなかった。それは九尾の狐が人々に幻覚を見せて争わせるためだった。九尾の狐は戦で死んだ人間の死肉を喰って生きていた。助六とどろろは、九尾の狐に喰われないよう、木に吊るした茣蓙の中で蓑虫のように眠った。

前半の醍醐景光の屋敷での話にしろ、後半の助六の話にしろ、心にグッとくるものがある。なんでこういうことが出来なくなったのか。母というものが醜く狂った存在になってしまったからなのか?

母を慕いながらその母が自分を捨てたことを認めたくない百鬼丸の苦悩と、どんなことがあっても村の向こうに辿り着き、父と母に再会しようと頑張る助六。

これだけで泣けるわ。