「無実の投獄」(2017年作品)感想 | 深層昭和帯

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映画、ドラマ、アニメ、特撮など映像作品の感想を中心に書いています。

マット・ラスキン監督によるアメリカのドラマ映画。出演はキース・スタンフィールド、ナムディ・アサマア、ナタリー・ポール。

 



<あらすじ>

盗みの前科のある黒人が、警察に捕まった。盗みのことがバレたのかと思っていたらそうではなく、殺人罪だという。人なんか殺していないといくら訴えても、前科持ちの黒人ゆえに話を信じてもらえない。弁護士の追及で、状況証拠すらなく、ましてや医学的な証拠もない裁判であったが、彼が25年の実刑を受ける。

刑務所の中で絶望的な日々を送る彼であったが、友人や恋人は諦めておらず、あらゆる手を尽くして釈放させようとするがどれも虚しく却下。友人は私財をなげうって弁護士を雇ってくれて、収監後20年が経過してようやく彼は監獄から出ることができた。1980年に収監された彼は、ミレニアムを外の世界で味わうことができた。

<雑感>

という内容だったはず。はずというのは、この映画にも字幕がついておらず、英語の科白を嫁と確認しながら視聴したためだ。検察の白人男性がものすごい早口で喋る男で、あそこの部分だけでも字幕が欲しかったわ。

死刑制度が廃止されたアメリカは、死刑がないがゆえに裁判に慎重さが欠け、刑期が長期化する傾向にある。

これが死刑制度のいいところのひとつで、人間の寿命がひとつの物差しとなり、刑期がむやみに長くなるのを防いでくれている。どうしようもない殺人事件を起こした人間は死刑、情状酌量の余地のある凶悪犯は無期、それ以外は最長でも20年の判決になる。20年以上は無期にして、様子を見ながら仮釈放の時期を探る。20年の刑期でも模範囚なら比較的早く仮釈放になる。

アメリカの場合、そこに人種問題が絡む。低所得が多く、軽微な犯罪で前科が付きやすい黒人は、冤罪で重い罪を被せられた場合に前科が枷となって罪を被せられやすい。まさにこの作品のように。一方比較的裕福な白人は、どんな凶悪犯罪であっても初犯ゆえに罪が軽減されやすい。黒人は圧倒的に不利なのだ。

加えて、裁判が演出的になりすぎ、担当弁護士の手腕に判決が大きく左右されやすいのもアメリカの欠点である。裁判員裁判であることが、裁判が演出的になる要因になっており、表現力のある弁護士、声に説得力のある弁護士などがあまりに優位になりすぎている。日本は演出を極力排することで、担当弁護士や検事の基礎的能力で判決に幅が出ないように配慮されている。

なんでもアメリカを信奉すればいいってもんじゃないのだ。

昨今、外人無罪にする裁判官が増えているのは非常に危険な兆候で、裁判の公正性を追求してきた日本の裁判制度が、何の義務も果たしていないクソ外人によって破壊されようとしている。アメリカの黒人の問題と日本の外国人の問題はまったく関係ないのに、何せ弁護士というのがバカなので、アメリカの問題を簡単に日本の問題に置き換え、同じことが起きているとウソを吐き、こうした映画で黒人が不利になる状況が日本にもあるように錯覚をさせて、阿呆の裁判官がそれに釣られて外人を無罪にするのである。

裁判官が映画やドラマに影響されてんじゃねーよ。

☆3.2。アマゾンはいわゆる意識高い系に訴える作品ばかり作っているが、意識の高さを求めすぎる心象には、己の醜い承認欲求が背景にあるのだと自覚しないといけない。