「上を向いて歩こう」(1962年作品)感想 | 深層昭和帯

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映画、ドラマ、アニメ、特撮など映像作品の感想を中心に書いています。

舛田利雄監督による日本の青春映画。日活作品。出演は坂本九、浜田光夫、高橋英樹、吉永小百合。

 



<あらすじ>

少年鑑別所を集団脱走した河西九と左田良二は、刑事の長いのオート三輪に助けられたが、警察が怖くて病院から脱走してしまった。良二はドラマー志望だったのでヤクザの松本健に助けられたが、九はそのまま永井に引き取られた。永井は脱走した少年らを匿い、運送屋として更生の手助けをしていたのだ。

松本健はヤクザであったが、実は大学受験のために毎夜勉強している青年だった。彼は愛人の子と蔑まれながら生きてきたが、実力で社会に出たいと願っていた。

永井にはふたりの娘がおり、下の妹光子は小児麻痺を克服しながら精神的に立てずに車椅子で生活していた。九は持ち前の明るさで光子を励ます日々が続いた。

松本は大学に合格した。ノミ屋も辞め、これで実家に出入りできると喜んだが、実家の人々の目は冷たく、わずかな希望は砕かれてしまった。良二はドラムセット欲しさに車を盗み、挙句に事故を起こしてしまった。構成しようと必死に頑張る九はそんな彼が許せず、互いに睨み合ったが、やがてふたりとも泣き出した。

<雑感>

社会に存在する格差というものは、ちょっとした努力くらいでなくなるものではないと訴えているのだが、共産主義になっても格差なんてなくならないからな。資本家や才能のある人間に富が偏在するか、官僚とその一族に富が偏在するかの差があるだけだ。

資本家は長年の吝嗇と勤勉な労働によって資本家になり、才能のある者は社会に恩恵をもたらした分だけ多く分配を受ける。どちらも人として手本とすることはあっても妬む必要などない。

対して共産主義下の官僚というのは、社会的な権限を得る立場になることで資本を簒奪する。彼らは社会のために何もせず、悪事はすべて他人のせいにして、富だけを奪うのだ。共産主義国家の官僚に才能は関係なく、血族で地位は決まっていく。官僚国家ほど不平等な社会はない。

みんな同じ人間なのに、不平等じゃないかという怒りはわかるが、不平等を是正しようと共産主義にすがった時点で社会は詰む。ウソだと思ったら日本共産党の元書記長不破哲三の実家がどんな大邸宅か調べてみればいい。

麻生家は財閥で麻生太郎自身も実業家として活躍したから金を持っているのはわかるのだが、生まれてから一度も社会に出たことがない共産党一筋の不破哲三がなぜ富を蓄積できたのか、説明できるものならしてみろ、吉永小百合よ。

☆3.0。日活青春映画はいいとしても、吉永小百合の面を見るだけで反吐が出そうだ。民主国家で選挙ポスターを破いたり落書きしているのはあいつのファンばっかりだぞ。