「ワイルドガン」(2015年作品)感想 | 深層昭和帯

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映画、ドラマ、アニメ、特撮など映像作品の感想を中心に書いています。

ジョン・カサー監督によるカナダ製作の西部劇。主演はキーファー・サザーランド。

 



ジョン・ヘンリー・クレイトンは戦争が終わると流れ者のガンマンとして生きてきた。そんな彼が長年音沙汰なかった故郷へと戻ってきた。

自分の勝手で人生を台無しにした息子を、父はなかなか信用しなかった。ジョンが放浪している間に母は死んでいた。銃を捨てたという話も信用しなかった。動機が薄弱だったからだ。

しばらくいない間に街は様変わりしていた。鉄道が敷かれる計画があり、農場は悪党に買い占められていた。農場主たちは悪党に抵抗しようと用心棒を探していた。だがジョンの父のサミュエルは反対して保安官に任せるべきとの意見だった。農場主らは保安官は貧乏人など守ってくれないと嘆いていた。

故郷には婚約者メアリー・アリスがいたが、戦争が終わっても戻ってこない恋人を婚約者は待っていてはくれなかった。彼女はすでに結婚していた。相手は農場主のトム・ワトソン。子供もいた。故郷はジョンがいない間に大きく変わっていた。

ジョンは突然開墾に力を入れ出した。それでも父は息子を信じなかった。いつかまた暴れて、故郷を出ていくに違いないと警戒していた。そんなおり、土地を巡るトラブルはますます大きくなった。用心棒のいない農民たちは次々に軍門に下り、農地を去っていった。ジョンも彼らに絡まれ、助けようとメアリーが仲裁に入ったためにトムもまた土地を売る約束をさせられてしまった。

ジョンが銃を捨てたきっかけは子供を銃で撃ったしまったことが原因だった。誤って子供を死なせたとき、ジョンは弟を助けられなかったときのことを思い出た。ジョンはそれで父に嫌われていると思い込み、実家から足が遠のく原因にもなっていたのだ。

トムが土地を売る約束をしたことはメアリーは知らず、悩んだ彼女は元婚約者という難しい立場のジョンに相談に行ってしまった。トムがメアリーを失うことに恐怖していると知っているジョンは、何とか自分がトムとメアリーを助けなければと思い至り、父が襲撃されたことも相まって再び銃を手にすると決めた。

銃を手にしたジョンは、悪党を次々に殺していき、最後はこの街を去っていった。やがてメアリーが死に、父も死んだ。ジョンはもう2度とこの街には戻ってこない。

という話。

まずこの物語はすべて個人的事情によって生じたドラマの中にあり、社会性や思想性は皆無である。何もかもジョンの個人的な思い入れや考えがあるだけで、映画史に結びつけるためのきっかけが皆無である。個人の事情だけで成立した作品なのだ。

帰るべきとき(戦争終結後)に帰省しなかったのも個人の事情、婚約者を放置したのも個人の事情、帰ってきたのも個人の事情、父との和解も個人の事情など、ジョンは社会性があまりに希薄すぎてちょっと頭の足らない子のようである。

そんな彼が個人の事情で再び戦うことになり、悪党ではあるが鉄道が敷かれる新しい時代、大規模農場となって資本を集約させる新しい時代に適応しようとしていた人々を皆ご殺しにして去っていく。それでこの街の発展が遅れたとの指摘もなく、市顎までジョンとその関係者だけの事情が描かれるのみだ。

当然ジョンのそうした近視眼的なところへの指摘もない。脚本かなり作家なりが、近視眼的な人間なのだろう。昔の西部劇にあった「歴史の大きな流れとその濁流の中の個人」という大テーマがどこにもない。これは西部劇の最も大切なところを切り捨てた暴挙であろう。