エポックマンの「オーレリアンの兄妹」観劇。
何ヶ月も前に舞台の前売り券を買って、チケットを無くさないようにずっと持ち歩いてた公演。
観てきて、公演のパンフレットを買って、帰路の電車でよみはじめたんだけど、読むのを一旦やめた。
パンフレットには、エポックマンの作・演出・出演されている小沢道成さんが、今回のオーレリアンの兄妹ができるまでのメモや日記をのせていたから。
まだ問題すら読んでないのに、答えから見てしまうような気がして、一旦自分が観て感じたことをおもいかえすか!と。
そんで冒頭から、いや、客席についてから思ったいろんなことを、紙にペンで書き始めたんだけど、いろいろぐるぐる考えがはじまりそうだったので、ブログにきりかえました。(いまここ!)
作品の中で、印象的なシーンがあって、
なぜ、自分はそれが印象に残ったのだろう、と。
話が飛ぶんだけど、私は最近結婚して、
『吉留明日香』という名前が
消えていくのを本当に感じていて、
初めは、戸籍は変わるけど仕事上は『吉留明日香』のままで活動するし、職場でも名前変えないから、逆に新しい姓の方が慣れないだろう、なんて考えていたのに、いざ、キャッシュカードや銀行口座なんかの名義変更を進めていくと、段々と『吉留明日香』という字面を見る機会が減っていって、この前ひさしぶりに『吉留はさぁ〜』ってふと名前を呼ばれた時に、あ、そうだ、私「吉留」だった!って、思い出すような感覚になったりして、なんとなく、こうして段々と旧姓から離れてくのかなー、なんてかるく考えてたんだけど、
今日見たお芝居の中で、
「お母さんは『お母さん』に
お父さんは『お父さん』にしばられてて、
アタシはアタシになりたい!!!!」
って言ってるシーンがあって、
ふと、
いま、『吉留明日香』の【吉留】が消えかかってるのに、もし子どもができたら【明日香】も消えて、母という“役割”として、役割名を呼ばれつづけていくのか…??
そう思ったら、ゾッとした。
本当に、ゾッとした。
母として、妻として、嫁として、娘として…
そこに、ちゃんと【わたし】はいるんだろうか。
日本ってこうやって【個】が消えていくながれを作っているんだろうか、とか、結局わたしもその一部として、何も思わずなじんでいくんだろうか、とか、こんなことを考える私は、自分本位すぎるんだろうか、普通じゃないんだろうか、とか、なんかそんなことがグルグルになって、ブログにはきだしてみた。
思えば、こんなふうにグルグル考えたのは久々で。(吐き出しブログも久々。)
いつの間にか、何も考えなくても流し見できるようなモノばかりを目にすることが増えた気がする。
実際いま、現実がしんどいから、っていうのもあるのかもしれないけど、歳を追うごとにすこーしずつ、段々と言い訳を付けて、避けがちだったかもしれない。
なんせ、頭を使って作品をみるのは、集中しなきゃだから時間もかかるし、エネルギーもつかう。
大人になるって、力の抜き方を覚えていくってことなのかなぁと、最近思うんだけど、逆を言えば、サボり方も上手くなっていく印象もあって。
私サボってたなぁと、気づかされた。
こうして、何を表現してたんだろう?とか、このあと、どうゆう展開になるんだ?とか、いーろんなことを考えながら作品と向き合うのは、
やっぱりおもしろい。
そんな気づきの機会をくれた公演に感謝したい。
話はだいぶそれたけど、美術に音楽、芝居、演出全てにおいて、この公演が、とても時間をかけて作られていることが本当に伝わってくる作品で。
こんなご時世でも、ここまでやってのける人はいるんだ、これだけ本気のモノをみせてくれる人がいるんだ、ということに、なんて言っていいかわかんないけど、高揚して、パワーもらった。
そして、毎回これだけのモノをみせてくれるのだったら、そりゃあ、たくさんの方に愛されるだろうなぁ、と、深く納得。
実は私自身、何ヶ月も前から前売り券をゲットして、チケットをずっと持っておいて、それを当日持参する、ということをあまりしたことがなくて。
公演当日まで、手元にあるチケットを見るたびに、こんなウキウキ感があるんだと、初めての感覚を味わいました。
このあと、お風呂に入って一息ついたら、パンフレットの続きを、読みすすめたいと思います。
そんなたくさんのことに気づかせてくれた舞台は、下北沢の駅前劇場にて、8/22(日)まで公演中です。
ふへ〜
久々にブログかいたら、めちゃ時間かかった😂
けど、やっぱ、表現するって、いいね😜
よーぅし!よしよし。
お風呂いってきまーす!
吉留明日香