会津の地の群発地震が収まりませんね。
日本列島の真ん中で、なにが起きているんでしょう。
私の住む茨城県は太平洋側、彌彦神社のある新潟県は日本海側。
私の家から新潟へ車で行くときは、磐越道を使います。
福島の猪苗代湖方面に向かい、日本海側へと曲がります。高速道路なのに、一車線の区間がある怖い道なんですが、そこに会津の地に降りる出口があります。
いつも通る度に行ってみたいなと思っていました。
彌彦神社に行くなら、会津にも行かねばと決めて、旅の計画は弥彦に二泊としました。
新潟を朝早くに出発して、会津に向かいました。
弥彦山は名残惜しそうに姿をみせてくれていました。
この日は徐々に天気が崩れる予報でした。
雲が弥彦山にかかり始めていました。
会津と言えば白虎隊。
父が亡くなった後、夏休みに母の田舎の福島に行った時、飯坂に住む叔母が白虎隊の剣舞を教えてくれました。
踊りはもう忘れてしまいましたが、白虎隊の曲は覚えています。
向かう道中に思い出してYouTubeで探して聴きながら会津の地に入りました。
今回の目的は
「会津さざえ堂を観てみたい」でした。
ナビで行くと、白虎隊の最後の地である飯盛山に着きました。
目的地は山の上。
迷わず、会津飯盛山動く坂道スロープコンベアーに乗りました。(笑)
かなり急な斜面をグングン上がるスロープで、しっかりつかまってないと怖かったです。
そこの壁に八重の桜の西郷頼母の西田敏行さんの似顔絵が飾ってありました。(福島の西郷さんにもなって良かったね)と考えてました。
その後すぐに聞かされた訃報はショックでしたよ。。。
さざえ堂は
白虎隊の慰霊の神社の隣に建っていました。
神社は宇迦御魂をお祀りする社ですが、白虎隊の隊士のための絵や位牌が並び神社の鈴と共にお線香をあげるようになっていました。
なかなかのカオスでした。
会津さざえ堂

六角形の屋根の堂が三層に重なり、中にあがると登りと下りが出合わない様な螺旋状の通路で作られています


お堂の天辺

江戸時代に作られたときは、三十三観音がまつられていたそうです。
明治になって変わってしまいました。
神社は仏式が合わさっているのになぁ。。。
さざえ堂のあとは散策しながら山を降りるようになっています。



飯盛山戸ノ口堰の洞穴は江戸時代の始めに猪苗代湖から会津へと水を引くために作られた水路の洞窟です。
美しく豊かな水が流れていました。
幕末に白虎隊が戸ノ口原の戦いのあと、この水路を通ってくると
鶴ヶ城を見やったときに城下の燃える炎を城が落ちたと思ってしまい自害をして果てたといわれています。
ここから見える鶴ヶ城は遠いです。
(涙)
参道を降りていく途中にお餅やさんがあり、つきたてお餅のお雑煮を食べました。美味しかったです。
会津に行ったら喜多方ラーメン食べようと言ってたんですけど、満足です。(笑)
お土産に会津の山塩を探しながら家路に着きました。
会津の地は四道将軍の大彦命と息子の武渟川別命が出会った場所といわれています。