あすかのブログ

あすかのブログ

気になる話題を追いかけ
自分のなかに
気がついたことを記録に残した
日記帳です。

昭和20年8月15日

太平洋戦争が終わった日


私の母は今年90歳です。

小学校5年生で終戦を迎えました。

日本は負けたから、これから米兵が来て自分たちは戦車の前に並ばされ轢かれてしまうと友達と本気で恐れていたと教えてくれたことがあります。

聞いていて、そんな馬鹿なと感じましたが、福島の山奥に戦争中は爆弾も機銃掃射もなかったけれど、終わったと知った後も恐怖はあったのです。


今日のテレビ番組のなかで、戦時中の女学生が飛行機を作る作業場に響く指導する先生の声と言葉つかいはとても美しくて、裏側にある本当の目的の意味を知ると気味が悪くなりました。


集団の思い込みを作りあげる。


物は言いよう

耳に優しい言葉を鵜呑みにしない。


プロパガンダ


初めてこの言葉の意味をちゃんと調べました。


いつの時代もあるものなんですね。


自分のなかでモヤモヤしていた概念が調べて分かりました。


何でも自分で調べることは大事です。



私の母は、その時に友達と「死ぬ前に、とうもろこしをお腹いっぱい食べたいね」と話し合ったそうです。

胸の奥が締め付けられる気がしました。


夏、大好きなとうもろこしを食べるとき、必ず思い出すお話です。

宮崎県日向灘でマグニチュード7.1の地震が起きました。

被災された方々にお見舞い申し上げます。

このニュースを知ったときはショッピングモールのフードコートの中でした。

誰もがのんびりとお茶やおやつを楽しんでいました。

私もお茶をしながら、ネットのニュースを見ていました。

すぐに、我が身の振り方を思いつくものとはなりません。

でも、今年の能登半島地震後に気をつけて見てきたYouTubeチャンネルのレッサーさんの番組を思い出して徐々に考えなければならないことを行っています。

レッサーさんが南海トラフの地域のどこかが揺れたら、この注意情報が発信されると教えてくださっていたので、落ち着いて受け取りました。


ひたちなか市も入っているんですよ。

茨城県からの情報は津波と解釈されてました。

とりあえず今出来ることを考えて、夫婦で一台づつガソリン満タンにしてきました。

行動して自身に安心をさせることは大事です。

何時ぞやは、

私が、毎日YouTubeチャンネルをみているのを息子が心配そうな顔をしているので、言ってあげました。

13年前の地震のときは、貴方の不安に押し潰されて「世のなかどうにでもなれ」と思っていたけど、いまはひとつもそう考えてしまうことはないから大丈夫だよ。


どんなことが起きようと大丈夫と思っていることが、一歩めだと思います。

災害が起きれば、それに立ち向かう労力は途方もない道を見ることですから。





最近、NETFLIXで『日本沈没−希望のひと−』を観てるのです。

国の発表は、国益の向き方で変わるものなんですよね。。。





鶴岡八幡宮をあとにして

結婚40周年記念旅行の一番の目的地に参りました。



私が初めて鎌倉の地に行ったのは、小学校6年生の卒業遠足でした。
その時に鶴岡八幡宮の鎌倉国宝館で出遭った地蔵菩薩像が、私の父親に似ていると感じました。ここは絶対に忘れないようにしようと思いました。
仏像好きの目覚めだったのでしょう。(笑)
遠足は、円覚寺から天園ハイキングコースを歩きました。
このコースの近くに覚園寺がありますが、その時はこのお寺のことなど露知らずでした。
覚園寺は北条義時が建てた薬師堂が元になっています。
「草燃える」を観て鎌倉が大好きになり、ガイドブックを片手に、何度訪れたことでしょう。
その度、入れないお寺でした。
つれとの旅の時も拝観時間が合わなくて靴擦れに絆創膏を貼って帰ってきました。(苦笑)
その足で、義時の墓へ行ったのです。
ガイドブックには、大江広元の墓の近くにあるとあったので、探しました。
なんの標識も見当たらず、それでも、つれは山のなかを靴を泥だらけにして探してくれました。

草燃えるの時にブームはあったでしょう。
でも時が経ったら何でも風化していくものです。

あの時、心のなかで「また義時の一生を掘り起こしてくれるドラマがあれば『北条義時の墓』と鎌倉の街角に案内板が出来るはず」と強く思いました。

夢、叶いました。

三谷幸喜さんありがとう

そうつぶやきながら階段を上がりました。




発掘されたのは、2005年だそうです。

30年越しにつれと二人で辿り着きました。




今年は北条義時が亡くなって、ちょうど800年となります。

記念の年に訪れることが出来て、本当に良かったです。



鎌倉旅の続きです。

駅を出て、まず向かったのは鶴岡八幡宮でした。

小町通りの人混みは雨で傘をさしながらでしたので、ちょっとキツめでした。

そこで、いつかテレビで観て覚えていた喫茶店を見つけました。中を覗いてみると入れるようだったので、入店しました。

つれは、モーニングセットを私はプリンアラモードをたのみました。

この店は、何が有名かといわれたら、厚みたっぷりのホットケーキなんです。
まわりのお客さんのテーブルには、みんな乗っていましたね。
我が道を行く私達夫婦は、そうはならないのです。(笑)
プリン美味しかったですよ。
赤いさくらんぼがちゃんと飾ってありました。

店を出ると雨が止みかけていましたが、小町通りを歩く勇気はなく、段葛に向かって脇道を曲がりました。
段葛の狛犬さんはマスクが取れてて
良かったわと思いながら歩き始めました。
とても蒸し暑かったので、汗を拭き拭きゆっくりと歩きました。
この日は段葛の桜並木の剪定作業をしていて、それを横目につれは落ちている桜の枝なら持って帰ってもいいんじゃない?と言い出しました。急になにを考えてるのかとびっくりしましたが、何に包んで持ち帰ったら良いか思いつかなかったので、却下しました。(笑)

鶴岡八幡宮
七夕の吹き流し飾りが風になびいていました。
大銀杏が倒れてから拝殿前までの階段を上がったことがなかったのですが、今回は登りましたよ。

新しい銀杏の若々しい葉を見ながら



階段を登りきり、二人で息を整えてから御参りをしました。(笑)  


この日は蓮池に花が咲いていて、蓮が枯れていない時に訪れたのは初めてだったので感激しました。
蓮の葉に乗る水玉が本当に綺麗でした。


能登半島地震の復旧作業が本当に進んでいません。



大阪万博進めている場合じゃないでしょ。

行き当たりばったりの政治は取り返しがつかないことになります。


メタンガスの爆発事故多発の人工島への交通手段がシャトルバスと地下鉄のみで徒歩では渡れない場所へ大切な子どもたちを行かせるわけにはいきませんよね。
なにかあったらヤバ過ぎます。
なにか起こる確率が高い場所じゃないですか。

夏の朝
熱い想いが爆発しないために
意見を記しました。