今日、東日本大震災から13年たちました。
私たち夫婦は昨日福島から帰ってきました。
震災慰霊の旅というわけではなく、私の行きたかった場所への旅が、このときに叶ったのは、やはりなにか意味があるかしらと思いながらの旅でした。
行きは東北道を通りましたが、帰りは常磐道を使い帰ってきました。
南相馬のSAで休んでいるときに、TV番組の津波で亡くなったお子さんを探したお父さんのお話しを観て、涙がとまらなくなりました。
常磐道をいわきへと向かい走ると高速道の途中に表示されるその場所のその時間の放射線計測値がわかる掲示板が設置されています。
原発事故の地「浪江」「双葉」「大熊」の地名を追いながら、数値が倍々になっていき、桁が変わると驚きながらつれあいに聞きました。
つれは放射線技師なので知識があると思って聞くのですが、
「この量を毎時受け続けることがキツいのだ」と教えてくれました。
ああ、そうだ。
『時は流れない
それは積み重なる』だったね
と思い出します。
処理水放出のことも大丈夫だと思っていましたが、時間が経つにつれてどうなるのかなと考えさせられました。
起こしてしまったことからは逃げられない。
重なる時はいつもここにあり続ける。
だからこそ、時を重ねられる者は時を大切に重ねて生きる権利がある。
このことを新たに思い起こすのが今日なんでしたね。