1999年9月30日
東海村JCO臨界事故
あれから、25年です。
夕方のニュースで流れました。
工場の杜撰な管理の元の作業中の事故でした。
あの頃は書店の仕事をしていて、その日の昼頃に職場に電話がかかってきて、子ども達が家に帰ってきたと聞かされても意味がわからず困惑したことを覚えています。
事故は原子力発電所で起きたのではなく、原料のペレットを作る工場で起きました。
派手な爆発などが起きたわけでもなく、青い光が発光し続ける状態。
何をもって危険を感じるかが外部の人にはなにもわからない状態。
亡くなった作業員のかたも、どれほど理解をされていたのか。。。
事故現場から10km範囲内に侵入は危険と国道6号線は規制されましたと、私が研修でお世話になっていたお店の前からTV中継されてました。
その後、しばらくは茨城の農産物が風評被害で全く売れなくなりました。
今日、買い物に向かう車窓からサツマイモ畑の収穫されているのが見えました。
(乾燥芋の季節になったなぁ。あの時は干し芋が売れなかったんだけど、今は引っ張りだこだもんなぁ)と毎年思い出してはいましたが、
今日で25年と知って、書いておこうと思いました。