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今回の記事では、「マリー・アン・アデレード・ルノルマンについて(PART 1)」を取り上げます。ルノルマン・カードの世界に足を踏み入れる前に、そのルーツや背景について深く理解することは重要です。そのために、ルノルマン・カードと関係があるマリー・アン・アデレード・ルノルマン
に焦点を当ててみたいと思います。
それでは、早速マリー・アン・アデレード・ルノルマンの世界に飛び込んでみましょう!![爆笑](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/023.png)
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マリー・アン・アデレード・ルノルマン(Marie Anne Adelaide Le Normand )は、フランス革命からナポレオンが活躍した時代にかけて、大変な名声を博した天才的占い師でした。![グラサン](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/036.png)
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<フランス絶対王政時代>
1772年、フランスに生まれたルノルマンは、鋭い直観力に恵まれていました。しかし両親が病でこの世を去ると孤児として修道院に引き取られます。修道院では彼女の直観力が災いとなり、修道長に大変怒られたそうです。
1782年、修道院を出たルノルマンは縫製の見習いとして働きます。同僚の勧めで、人生初のタロット占いを体験したルノルマンは、タロットカードを大変気に入りました。ちなみにルノルマンが引いたカードは『太陽』と『力』。まるでルノルマンの将来を予言するような結果ですね。
1786年、パリへと旅立ちます。計算力と売り子の能力を発揮したルノルマンは、大変な人気を得るようになりました。お客からもらったカバラとピタゴラスの数秘術の本は、占いの研究に没頭していくきっかけとなっていきます。
1789年、占星術師の見習いになったルノルマンは、スカルリーディング研究のため渡英を決意します。全財産を宝くじに投入して見事12000フランを当てたルノルマンは、ロンドンに『パリの占星術師マドモアゼ・ルノルマン』というお店を開きました。
一方、フランスではバスティーユ襲撃事件が勃発。それはフランス革命という新しい時代の幕開けでした。
1791年、ロンドンから帰国したルノルマンは、『マドモアゼル・ルノルマンの書店』というサロンをパリに開きます。時を同じくして、市民暴動を恐れた王妃マリー・アントワネットは逃亡を図りますが、捕まり一家共々幽閉。そしてロベスピエールら革命家達による恐怖政治が始まります。
<フランス革命時代>
1793年、ルノルマンのリーディングは好評で、王族からは王妃救助のため、晩餐会への出席を求められたこともありました。また評判を聞きつけ訪れたロベスピエールは、ルノルマンから非業の死を予言されたと言われています。同年の秋、マリー・アントワネットは処刑。これによりフランス絶対王政は崩壊しました。
1794年、ポンヌフ橋で一般人のためのリーディングをしていたルノルマンでしたが、客とのトラブルでラフォース監獄に投獄されます。その監獄は貴族や革命家達などが収監されており、ルノルマンにとって絶好の場所となっていきます。同年7月、ロベスピエールが処刑され、暴動的な革命の幕が下ります。これによって、ルノルマンも留置生活からやっと解放されました。
つづく