時代は人をつくるといいます。


たしかに、歴史に名が残るような活躍をした人のホロスコープをみていると、

これは、時代に要請されたんじゃないか、と思えてしまう星との関わりがあります。

 

 

 

歴史はそう得意ではないのですが、

最近、明治維新に活躍した人について調べていて、

星のしめす意味と、その方の活躍があまりにピタリとくるのを発見し、

おおお(*'▽')、とひそかに感動しておりました。

 

 

わかりやすく歴史の部分を説明しようと思うと、

ひるんでしまうのですが、

書いてみますね。

 

(歴史部分は、たぶん棒読みのようだし、

ちょっとした間違いもあるかもしれません。

なんとなく雰囲気をつかんでいただけたら。)

 

 

 

江戸無血開城の立役者のひとり、山岡鉄舟さん、ってご存知でしょうか。

 

wikipediaからおかりしました

 

 

幕末の混乱期に、彗星のように歴史の舞台にあらわれて、江戸を壊滅から救った人です。

 

 

この頃、日本は、

ペリー来航から、開国をせまられ、大きな転換期をむかえていました。

 

 

開国・通商路線を選択した徳川幕府にたいして抵抗し、

鎖国を維持しようとする尊王攘夷運動がおこり、

 

開国をみとめる藩でも、

幕府のやり方に不満を抱き改革をせまるなど、

日本は大混乱していました。

 

 

内戦にあけくれているうちに、

アメリカやヨーロッパ列強国に国を侵略されるおそれもあります。

 

 

鉄舟は、下級武士でありながら、

 

国内で争っている場合ではない。

力を合わせて日本を強くしなければ、

 

と広い視野で考えている人でした。

 

 

禅と剣、槍、などのはげしい鍛錬で、

身体もメンタルも飛びぬけて鍛え抜かれています。

 

足腰もつよく、とても速く歩くことができました。

駕籠をかついで走る人足が、速く歩くプロなのに、追いつけなかったほどです。

(このあたり、彼がはたした役割に重要な要素です)

 

 

鉄舟は、世界のなかの日本、とだけでなく、

宇宙のなかの日本という観念ももっていました。

曼荼羅のように、世界を理解していたのです。

精神性も豊かな人だったようです。

 

 

国のために何か役に立てないだろうかと、真剣に考えます。

尊王攘夷運動の志士ではあったものの、

なかなか思うように力を尽くすことはできませんでした。

 

 

 

ところが、大政奉還ののち、

彼は、これまで培ったすべてを活かしきる “時” をえて、

鮮やかに歴史の舞台に登場します。

 

 

 

最後の徳川将軍、慶喜は、すでに江戸城をはなれ謹慎しているものの、

幕臣派のなかには、交戦派もまだいます。

 

薩摩と長州を中心に組織された官軍は、

慶喜の恭順の意が幕府全体の意志となっているのかを信頼しきれずに、

江戸城に攻め込もうとしていました。

 

 

 

徳川側から、官軍へ、慶喜の助命嘆願はすでに何度かなされていましたが、

うまくいきません。

 

このままでは、、、

 

江戸の町は戦火につつまれ、壊滅的な被害を受けてしまいます。

それは日本自体を弱体化させ、海外の列強国への隙をつくることにもなります。

対等な力を育てるどころではありません。

 

 

なんとか戦火はさけなければ。。

徳川側は必死に考えます。

 

そして、命の保証はないけれど、

前線がすでに川崎までせまってきている官軍のまっただなかをつっきり、

駿府(静岡)に設置された本営まで、特使を送るしかないと決断しました。

 

 

 

さて、しかし。

誰を行かせるか。

 

 

もう慶喜のまわりに信頼できる側近はごくわずか。

今後の指揮をとる者、

護衛する者を、

行かせるわけにはいかない。

 

 

 

けれど国の命運がかかったこの仕事、

誰にでもつとまるものでもありません。

 

 

ここで、義兄をつうじて、

それまで、将軍にお目どうりすら叶わなかった一介の下級幕臣であった鉄舟に白羽の矢がたちました。

 

 

鉄舟は、将軍から直々に任命される時、

はじめて慶喜に会うにもかかわらず、

裏心はないのかをハッキリと確かめました。胆が座っていますね。

 

 

 

この役目を現代にたとえると、こういう状況のようです。↓

西郷との交渉は、今日でいえば平社員が、海外の企業に単身ででかけ、

トップと会って提携交渉で合意を取り付けるようなものである。

 

また、戦線不利な陣営で若い一軍曹が単身で敵陣を突破して、

自軍に不利にならない戦争終結の交渉を敵軍トップと行い、

成功させるようなものである。

(『山岡鉄舟 幕末・維新の仕事人』佐藤寛 著 より抜粋)

 

 

 

 

ひとり同志をともなっただけで(その人とも途中ではぐれ)

鉄舟は、単身、この役目を見事に果たします。

 

敵のさなかを目的地までたどり着くことも難しいのですが、

徳川側の要求を官軍側にのませるのも、簡単なことではありません。

すでに拒否されているのですから。

 

 

でも、西郷隆盛は、敵方でありながら、鉄舟の人間性を認めました。

それほどに信頼できる相手だと思ったのです。

ふたりとも同じように誠意にあふれた豪傑だったから理解し合えたのでしょう。

 

 

鉄舟は、徳川慶喜の恭順謹慎の意は本心であることを伝え、

無抵抗の者を討つ必要があるのか、と問い、

 

そして、いま国内で争っている場合ではないと言上します。

国をあげて力を合わせる時ではないか、と。

西郷さんも、その心は同じでした。

 

こうして、官軍は、江戸城攻撃をとりやめました。

江戸、そして日本が守られたのです。

 

 

西郷さんは、この後、勝海舟との正式会談のさいに、

鉄舟を徳川公のもつ宝だと評したあと、このように言います。

 

「命もいらぬ、金もいらぬ、といったような始末に困る人です。

ただし、あんな始末に困る人ならでは、

お互いに腹を開けて、共に天下の大事を誓い合うわけにはまいりません。

本当に無我無私の忠胆なる人とは、山岡さんのごとき人でしょう。」

 

 

 

 

ここまで読んでくださってありがとうございます。

いよいよ本題です。

 

 

鉄舟がこの大役を果たしたのは、

慶応4年3月上旬。

西暦になおすと、1868年3月末~4月はじめ、です。

 

この時の空の星を、

鉄舟のホロスコープにかさねてみると。。。

 

 

あっ、そのまえに、ホロスコープのシンボルの意味をお伝えしますね(^^)

 

ここで重要な星は、水星と天王星です。

 

水星は、「交渉人、素早く動く人」、をあらわします。

天王星は、「革命」、をあらわします。

 

 

では、どうぞ。

 

 

こちらのホロスコープ、内がわが鉄舟、

外がわが1868年4月はじめの空の星の配置です。

 

 

 

ねっ、(*‘∀‘)

興味深くないですか?

 

 

その時の空の天体が、鉄舟の水星にピタリと重なっている。。

 

革命の星:天王星が、鉄舟の交渉人としての人格に、

力を与えているかのようです。

 

あるいは、日本の独立を守り、

あたらしい時代をつくる革命の意志を果たしてくれ、

と要請しているかのようです。

 

 

 

このとき、度数を読むなら、1度ほど天王星が前ですが、

それでも、もうすでにつよい影響ありの範囲ですし、

 

天王星は、すこし前から、(逆行するので)水星にヒットしていて、

この時は、3度目のヒットを5月にひかえたタイミングですので、

もう水星は天王星のエネルギーをうけとっています。

 

 

 

こういう、”時”、と人のホロスコープの一致した例をたくさん見てきました。

 

 

時代と、歴史に名が残る人とのかかわりは奥深いです。

 

時代も、過去そして今を生きる多くの人たちの心とつながっているのなら、

その想いを、ここで生きている人物がうけとり、代表して行動する、

というような感覚もあるのかもしれないと思います。

 

 

 

 

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