昨日の記事と関連して、すごく私的な思いです



ちょうど4年前の平昌五輪時のゆづの言葉…私にとっては衝撃的な思考と言葉でした

 

ここからある意味、幼き日のゆづる…9歳のゆづと今の(実年齢の)ゆづを応援する日々が私の中で始まったと言ってもいいかもしれません


それは、4Aを応援することとイコールだっただろうとも思います


そして、OtoñalもOriginも当初はそうだったなぁ…

 

 

特に2019年はものすごく重くて、濃いシーズンで…

トリノファイナルは、言わずもがなゆづの憧れの地…

 

 

 

ゆづの中に、幼き日の“あの子”がいるのがすごく伝わってきました


だってこんな顔する人…

 

こんな子どもみたいな顔する人…

 

純粋の塊を見ているようで…すごく愛おしかった



しかし、本当に苦しい試合…苦しいシーズン…苦しい状況が続いて…

 

 

私は、ゆづの限られた現役生活、貴重な限られた試合が、ゆづの中で痛くて辛くて悲しい思い出として刻まれていくのが耐えられないっていうか…そんなことして欲しくないって思って…

 

それじゃ、それまでのゆづの道のりのすべても否定されそうな気がして…ゆづ自身がそう感じてしまいそうで…それがすごく怖かった


ゆづの中の幼き日のあの子も傷つかないでほしいと思って…


だから何とかして自分なりに応援して…一つひとつに意味を見出したくて…自己満だけれど、必死に書き続けた

 

でもやっぱりそれって自己満足に過ぎなくて、何もできない無力感や、応援は彼を苦しめていたんだなと感じ、結果的にこの年の応援は自分の中で罪悪感とトラウマとして今でも残っています

 

こういう平昌五輪からの4年間を過ごしてきて…


それでもやっぱり一生懸命精一杯毎日応援の気持ちは抱き続けていて…ゆづが好きで…想い続けてきました



私の中では4年前のゆづの衝撃的な言葉から始まった9歳のゆづと今のゆづへの思い…


4Aという大きな夢であり目標に向かい続けた日々…

 

それは、今回の北京五輪で最高の形として結実したと私は思っているんだよね

 

 

 

 

 


 

 

これ以上ない


本当に奇跡のような結実の瞬間を私は見せてもらったと思っています

 

 

 

9歳のゆづと今のゆづ、こんな形の二人で跳ぶ4Aになるとは、4年前は想像もしなかった

 

なんて素敵な日だって思うの


愛しいことだと思うの

 


私の中でも、4年前のゆづの衝撃的な思考と言葉から、ここまでに来られるなんて…


ゆづに見せてもらえるなんて…


こんなにこれ以上ないものを見せてもらえるなんて…


ここまでになるとは想像していなかったです

 


だから、私は関係ないけれど、ゆづありがとうって思っています


4年間応援させてくれてありがとうと思っています



平昌五輪が終わった時は、思いもしなかった『天と地と』も、ゆづそのもののプログラムとして見せてもらえたと思っています

 

 

すごく私的なことだけれど、平昌五輪のあの言葉からここまでが繋がっていたんだよね


そして思い返してみると、4年前の自分より今の自分の方が、幼き日の“私”を近くに感じる^^*


それはきっとゆづを応援してきた日々が影響しているんじゃないかと感じました



ゆづ、ありがとう

 

 

 

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