全日本メダリスト会見のこの部分
「自分がやっていることがすごく無駄に思える時期がすごくあって。まあ、いろんなトレーニングとか、または練習の方法とか。もちろん、自分自身で振り付けを考えなきゃいけないというプレッシャーだったりとか。自分自身で自分をプロデュースしなくてはいけないプレッシャーとか。それがみなさんの期待に応えられるのか。そもそも4回転アクセルって跳べるのか、とか。でも、入ってくる、僕の中に入ってくる情報は、やっぱみんなすごい上手で、みんなうまくなってて、なんか1人だけ取り残されているっていうか。なんか1人だけ、ただただ、なんか暗闇の底に落ちていくような感覚があった時期があって。でも、なんかもう1人でやだって思ったんですよ。1人でやるの、もうやだって思って。疲れたなって思って。もうやめようって思ったんですけど。」
「なんか年寄りみたいな感覚が、自分の中であって、固定概念みたいなのがあって。どんどん技術的に落ちるんだろうな、みたいな。アクセル練習すれば、4回転アクセル練習すれば、どんどん他のジャンプも崩れていくし、ダメになっていくし、足も痛くなるし。」
深く刺さった部分ですけど、まだ自分の中で消化できてないんですよね
(ってか、全日本の記事をここまで書いてる人いるのかなー?( ´;゚;∀;゚;)ふと思ったよ:( ;´꒳`;)私ほんとに全日本が終わってから約2ヵ月間、ずーっと毎日書いてるもんな( ´;゚;∀;゚;)読んでくれてありがとうございますだねヽ(;▽;)ノ)
なので、まあ、つらつらととりとめもなく今日も書きたいなぁと思います
あ、結論は出ません!wゆづと話ができるわけじゃないし、ただ独り言のように支離滅裂にw書くだけです
それにしてもゆづのこの部分の言葉っていうのは衝撃で心が静まり返る感覚になりました
でも前にも書いたけれど、ゆづが言葉にして発することができてよかったなぁとも思います
きっと誰かに話したかった気持ちもあったんじゃないかと想像します
ゆづの言葉を反芻しているとさ、他のアスリートが発した言葉とも重なるところがあるなぁと思って…
スノーボードの平野歩夢選手のインタビュー
-- いちばん怖いのはケガですか?
「 それもありますが、やっぱり自分自身ですね。ふと『こんなことして何になる?』という疑問が浮かぶのが怖いです。」
平野選手の『こんなことして何になる?』とゆづの『自分がやっていることがすごく無駄に思える』がリンクするなぁと思って
それぞれ理由や背景は違うにしても、“それが一番怖いこと”って…重くて深いなぁと思うわけです
平野選手もかなり哲学的な人なんだよね
1日に2.3時間は独りで考える時間を作っているというくらい
だからこそ生まれる大きな闇と苦悩があると言っていた
“思考の人”に生まれる独特の闇なのかなぁと思いました
(でもこれってさ、私たちもあるよね。こんなことして意味あるのかな?って、こんなに苦しい思いをしながら一生懸命頑張っても実らないかもしれない、意味ないかもしれないなっていう、ある種恐怖を抱きながら生きていく感覚になる時。それは仕事かもしれないし、子育てかもしれないし、人生全体に言えることかもしれない。たどり着くところは虚無感しかないかもしれないという想像と恐怖を抱きながらも、それでもやっていくの。)
ゆづは、未知の世界だったわけじゃんね
全日本までの10ヵ月間
コロナ禍という未曾有の事態に私たちもそうだったけれど…ゆづはぜんそくもあって、その怖さは何倍にもなって感じられていたかもしれない
そして、感染してはならない、させてはならないという強い強い意志があったということは、その時々で伝わってきていました
ゆえに、外出もほぼなし
その背景としては、存在がゆえに外に出られない、人目が気になるというところもあっただろうと思います(人道から外れたパパラッチもいるしね)
もうこの時点で、私なんかとは違う生活…
小海途さんが言うように、その生活は厳しく、つらいはずです
そして何よりも、拠点やコーチたちとも離れて1人で練習する日々
これは本当に孤独との戦いだったんじゃないかと思います
ゆづはどん底から前に踏み出せた11月頃から「コーチたちに頼ることができはじめて」と言っていたよね
この言い方から感じるに、もしかしたらそれまでは遠慮や控える気持ちがあったのかなと
ゆづの性質を感じたというか…想像するところではありました
連絡がうまく取り合えなかった時期もあっただろうし、取り合えても時差や顔が見られないということがネックになったかもしれないなと想像します
自分が日々やっている練習やトレーニングが合っているかわからないんだもんね
実際にその場で指導してくれる人がいるわけでもないし、リアルタイムで修正してくれる人もいない
切磋琢磨するリンクメイトもいないし、背中を見せ合う仲間もいない
自分自身で何とか試行錯誤しながら練習しても、それが合っているか、正解かどうか確証する場・試合もないんだもんね
加えて昨シーズン体験した数々の苦しい思いもフラッシュバックすることがあったかもしれない
頑張っても結果や評価として返ってこないということ
四大陸で自分の道は見えたけれど、果たしてそれが本当に正しいのか…?正しいことって何なのか?信じた道を行ったとして、それが実るのか?また同じ思いをするんじゃないか?だとすると今自分がやっていることはすべて無駄なんじゃないか?みたいな禅問答のような自問自答を繰り返したんじゃないかと
本当に出口の見えない暗闇の中にたった1人の感覚があったんだろうなって…想像するんです
ちょっと思ったんだけどね、ゆづはおそらく深夜…夜中に練習していたんだろうなと(敢えて断言しない書き方をしています)
それって人間のバイオリズム的にしんどいんじゃないかと思うんだよね
人が寝静まって、太陽もない真っ暗な世界…
街明かりはあるとはいえ、たくさんの人が1日を終えて就寝する中、自分は活動する
それが毎日でしょ
1日や2日、1週間や1ヵ月じゃないんだもん
人間慣れるとはいえ、先が見えない…もしかしたらまだまだずーーーーーーーっと続くかもしれないという予想もあるわけで…
なんか、そういうの想像するだけで孤独なんだもん(T-T)
つらくなってくるの(T-T)どんなに彼は離々たる感覚だっただろうかと(T-T)
もちろん家族のサポートや支えてくれる方々の存在はあったと思いますけど、私は、夜には夜の引力があると感じていて…人間の本質的、バイオリズム的にメンタルが引っ張られる部分もあったんじゃないかなって思いました
そして、これも私の勝手な想像ですけど、ゆづは個人のSNSをやってないよね
それも孤独を感じる一つの要因になり得るんじゃないかと
もしやっていたとしたら…『今しんどいですけど頑張ります』とか『負のスパイラルに入っている~』なんて呟けたかなぁと…
そうすると励ましのメッセージなど…たくさんあったかなぁと…想像する…
…けれど!w
やっぱゆづはSNSはやらないだろうなとも思っています
(あ、するしないはゆづの自由だからね^^*そこは大前提っ)
ただ、想像しただけw
ゆづも公にしてないだけで、個人間では繋がっている人はたくさんいるだろうしね!
でも、思うんだけど…SNSやってるからって人との繋がりを実感できるとは限らないんだよね
これは不思議なもので…そこはイコールじゃないと思っています
私も去年ブログでそういうの体験して、大晦日の記事に正直に書いたけれど…
なんか、ブログやSNSって『繋がる場』『思いや気持ちを共有する場』っていう共通固定概念みたいなのがあるじゃんね
だから、そこにいるのに孤独を感じる自分に二重にショックなんだよね
誰かと繋がっているのに孤独を感じている自分が自分で受け入れ難く、嫌になるの
ゆづもそういう時期あったのかなぁと想像する
誰かと繋がっているのに孤独を感じる感覚…『誰もわからないんだろうな…この気持ち…』みたいな抱き
負のスパイラルに入りかけている時やどっぷり入っている時、精神的につらい時や落ちている時は、何をしても難しいね
そういう意味では、このご時世におけるツールって難しいなと思います
もちろんそれは陽にもなるんだけど、やはり陰の要因にもなるなと実際思いました
ゆづの『1人だけ、ただただ暗闇の底に落ちていくような感覚』に心を寄せていくと、いろんな思いが湧いてくる
長くなりそうなので、今日はここまで!
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