ブログを書こうとパソコン開いてアメブロのホーム画面にいくと、「3年前に書いた記事があります」っていうメッセージと共に、この記事が表示されていました
https://ameblo.jp/astipalea3897g/entry-12156275616.html
(記事内容のSNS等への転載・転用・引用・要約等は御遠慮ください)
ああ…そうか、ちょうど3年前になるんだなぁと
ってか、早っ!(;゚; 艸;゚;)って思ったな~
(最近時間の感覚が~w)
普段は過去記事を読むことはまずないのだけれど(自分で自分が恥ずかしいから)、少し流し読みしてみると、当時を思い出しました
ここは本当に自然が美しくて…きれいで…
“生きている”って書いたかな
それを全身で感じるような場所でした
後に知ったことだけれど、自然崇拝に始まったとされる諭鶴羽参拝
まさにその通りだなぁと思いました
そして、当時リスフラン関節靭帯損傷で加療休養中だったゆづの足のことを…と思ってここへ行こうとした当日に、この諭鶴羽古道が『再生を願う祈りの道』とも言われていたことを知りました
ああ…ゆづを再生させてください、ゆづの足を再生させてくださいって、そんな気持ちと重なった出発前でもありました
祈ったなぁ
ここから4ヵ月後の9月の公開練習時
すごいことに挑戦するな…って、どれほど難しいんだろう…って、震えるような感覚を抱きました
「Hope&Legacy」を新プログラムとして発表し、新しい世界観を見せてくれたね
衣装も素敵だった
ヘルシンキでは神がかり的な演技で世界中をふるわせた
(私はブログ長期お休み中だったんだけれどね~^^;あの期間は幸せと充足感に包まれていて後悔はまったくないけれど、記事が全然ないのは少し淋しかったりもするw)
この年を経て、いよいよ平昌五輪シーズン
『SEIMEI』に関してはその…自分っていうキャラクターがすごく際立たせるような、まぁタイトルもそうですし、プログラム自体もそうなんですけれども、際立っているんだけれどもその背景まできちんと見えるような表現をしたいっていうのをすごく今、思えていて。
自然の風景を取り込みつつ、そのキャラクターとしてキャラ立ちしているような演技ができればなぁと思います。
やっぱり振り付け一つひとつに意味があって、目線一つひとつに意味があって、そうやって演じていると思うので。
その目線だったり、手の振り、足の振り、上半身の動き、そういうものでキャラクターがいつもどういう情景で舞っているのか、どういう情景で滑っているのか、そういうものも出せればなぁって思っています。
*マガジンより*
こうして振り返ると、ホプレガで培った自然の風景や背景、情景まで見せるということが新生SEIMEIにも生かされているし、もっと言うとホプレガに入る前も初代SEIMEIから学んだことを生かしたいと、ゆづ言っていたんだよね
なんて言うか…段階を踏みながら向上しつつ、表現の面では深みを増しつつ、全体的な洗練感に磨きがかかっているなぁというのをあらためて感じました
ゆづのプログラム選定って、今季のOtoñalやOriginもそうですけども、少し輪廻…(原点回帰という意味で)循環するイメージも私の中にはあって、すべて、全体でひとつの壮大なストーリーのようにも感じる時があります
プログラムそのものが人生っていうかね
そういうものを見ている感覚になる時があります
2015年 SEIMEIを演じるにあたって
「ご挨拶を…」って言ってたね
そして同時に弓弦羽神社へも
(諭鶴羽神社参拝のきっかけも、いただいたお守りって言ってたよ。こうして膨大なプレゼントやいただき物の中でもちゃんと大事に受けとめているんだね。これってほんとに羽生家、ゆづの心がわかる事柄だと思うんだが。)
年々、こういう場所へ自由に出向くことは難しくなっているのは本当に胸が痛いし悲しいことだなと思っているのですが
2017年、平昌五輪へ向けても弓弦羽神社と
晴明神社
そして、諭鶴羽神社にも参っていたんだね
もしかしたらプライベートでは、ほかにも詣っていたかもしれない
この数年間ゆづを見てきて、信仰心があついのかなっていうのはよく伝わってきたので、あるのかもしれないなぁと思います
きっと、守られている。とも確信しています
いつも思うのが…
ゆづが書く絵馬って、自分のことだけじゃないんだよね
こういう思念の基本って、きっとご両親からなんだろうなと感じています
私、ゆづを好きになって変わった…というか、ますます強くなっているのが、こういう神社仏閣へ対する思いなんです
宗教や宗派?などは全然わからないし興味もさほどないのですが、元々参拝するのは好きで、こういう場所は心が落ち着き自分を見つめ直すきっかけにもなっています
ゆづを好きになってから、そういう気持ちが大きくなっているなぁと思います
作法もちゃんとしようって←
うん…
私的に神社仏閣っていうのは、お願い事や何か望みを叶えてくれるところっていうのではなく、日頃の感謝や自分の中の誓いを立てたり、またそれを見守っていてくださいっていう気持ちを伝えに行く場なのですが
ゆづを応援することで、そういう機会を与えてもらっていることにも感謝だなぁと思うことが増えました
ゆづはいっつも願ってくれているよね
こういう思いはやがてめぐりめぐって本人へと還ってゆくと思いますし、またそのめぐる中で純化されてゆくものであるとも思っています
私たちも、他者のことを祈れるって幸せなことだなぁと
今や当たり前のようにしているけれど、よくよく考えると他者の幸せを祈ったり、他者の健康を願ったり、痛みが和らぎますように…早く治りますようにと念じたりっていうことって、奇跡的なことだよなぁと思います
祈りって、人間だけに与えられた崇高な行為だと思っていて、それを行う機会をゆづを通して与えてもらっていること、これはやはり感謝なのです
祈るということで、私は自ら自身に立ち還ることができているような気がします
ということで、今日も私はゆづの健康と幸せを密かに心に祈りながら、過ごしたいと思います
なんだか3年前の記事リンクからとりとめもない記事になりましたが、読んでくださってありがとうございます~
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