2011年9月、僕はアウディA3スポーツバックという車を購入しました。
「輸入車なんて故障が多い」
「修理が高い」
「金食い虫を飼育できる余裕層の持ち物」
の認識はありましたが、死ぬまでにせめてそれを所有することで得られる良さだけでも理解したいという欲求が動機となり、ドイツ車を調べていました。
このまま独身でいるならば後世へ残す財産など考える必要はないし、元気でいられる「今」を楽しく、色鮮やかな未来を過ごすべくという決断で購入しました。
だがしかし、未来の予想というものが凡人の僕ごときが予定通りできることもなく…。
よくある普通の人生のレーンで収まっている「今」があります(^^;
自分のお金だし誰の許可を得ることもなく購入したのですが、のちに両親には「激怒」され、結婚を前提に付き合っていた妻の両親からは「警戒」(妻の財産目当ての浪費家のヒモ野郎かという疑いの目ね…)され、取り巻きがいるせいで「う~ん…」な思いもしてきました。
一般の意識に刷り込まれた輸入車へのデメリットは色濃く、国産車の性能(低燃費、経済的、壊れにくいの3点)が優れ過ぎているため、今後もそのイメージは覆らないと思います。
”時計と車は趣味の考え方が似ている”とちまたでもよく聞きますが、自分にもそれが当てはまっているかなと感じます。
アンティークの時計にも造詣があるせいで「古いモノはデザインがダサいとかボロくて良くない」と思う事は微塵もないですし、時計の道で発掘してしまった”他人と同じではないものがオレ流”という自我の暴走も生きてきた中で身についてしまったため、昔はリコールが出るレベルのミッションで、ボロいのにリコール対応もしないDラーに不満を持ち、メーカーが嫌いで次は絶対違う車に乗り換えてやる!と憎々しく思っていたのですが、Dラーに頼らずに自分で不具合を調査し、懇意の工場を見つけて相談・修理するという動線を得てからは”Dラーとは縁を切った”という落ち着きが持てるようになりました。当てにせず自分で思うように対応すればいいと思えば何も腹がたたないのです。
何かあれば直すことが可能な道は作れたし、あとはお金が、いやいや、諭吉ではなく妻が許せばという事ではありますが、乗り続けたいなという気持ちです(^^
気になる車もありますし、上がりの車と呼べるほどこの車が一番とは思っていませんが、乗り慣れた感覚や経験は筆舌しがたいのですが、僕にとってベストマッチであることは間違いないです。
そして「ひとり」から「ふたり(妻)」、今は「四人(家族)」と『自分のストーリー』のそばにいたものなので、これからも自分のものでありたいな~と感じています。
今年は新車登録から13年目の増税記念Year…。そのタイムリミット内に迷うことなく決断ができました。ウイスキーだったら美味しくなるのはまだまだこれからだぜ(笑
妻には「新車に買い替えるよりは安いから直してでも使うよ…」と家族のためにボロ車に我慢して乗るという良き夫のフリをしながら、少々値が張る修理代は目を瞑ってもらえるような誘導をしておきます。