Vol.453 ジラールペルゴ、日本への想い~FUGURO~から紐解く | アスティアのひとりごと

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ヤフーブログからの続編としてロレックス、チュードルなど腕時計中心のブログです。またの名を 続・ミルガウス増殖計画

時計好きでも知られていないジラールペルゴ。


スイス屈指のマニュファクチュールブランドとして知られるジラールペルゴは、1791年創業で、幕末期の1861年に日本に正規代理店を開設した一番最初のスイス時計ブランドです。

古い歴史と確かな技術を兼ね備え、世界を代表する時計メーカーです。

 

 

今年は正月から震災で数多(あまた)の犠牲者と悲しみを生み、その傷が癒えることはありません。

ですが、これからは「あの人が生きた」場所を守る「ここで生きる」と決めた人たちが復興への道を一歩ずつ進んでいかねばなりません。わずかな事しか我々はできませんが気持ちは同じです。頑張って生きてください。

 

 

 

過去にジラールペルゴは東日本大震災の復興支援プロジェクトに参加し、日本を盛り立ててくれた立役者の一員だったのをご存知でしょうか?

その名も「東北マニュファクチュール・エイド」として、東日本大震災後の被災地で広がりつつある「ものづくり」をきっかけとした復興のものづくりを伝えるプロジェクトになります。


以下は提携先FUGUROを製作したWATALIS様ホームページの引用となります。

2011年の夏。WATALIS代表の引地は、亘理町の郷土資料館の学芸員として民俗調査に関わり、古い時代の亘理を知る人達を訪ね歩いていました。ある日、農家で1つの巾着袋に出会いました。亘理に暮らす女性達は、着物の残り布で仕立てておいた巾着袋に一升のお米を入れて、お祝いやお返し、手土産にしていました。

 

小さな布も大切にし、沢山縫いためて、いつでもすぐに『ありがとう』と気持ちを手渡していたのです。「ふくろ」がなまって「ふぐろ」。この「ふぐろ」が時間軸を越えて、当時の自分とは異次元の生き方「感謝を形にする生き方」を伝えてくれたのです。(中略)

 

2011年3月11日。東日本大震災が起きて、津波で多くの命が失われました。積み重ねてきた暮らしや、心を支えてきたものが一瞬にして消え去り、残されたのは記憶だけでした。仕事も、みんなが集まる場所もなくなりました。いくら消し去ろうとしても、悲観的な思いが次々に湧き上がってきます。これから私たちはどう生きたらいいのだろう。そんな時、脳裏に思い浮かんだのが「ふぐろ」でした。「ふぐろ」に詰まった亘理の女性達の暮らしや「感謝を形にする生き方」を受け継ぎ、伝えたい。その営みを通して、自らの人生を前向きなものにしたい。そうして誕生したのが新しい「FUGURO」です。(中略)


「ジラール・ペルゴ 日本・スイス国交樹立150周年記念限定モデル」のスペシャルパッケージ「FUGURO」は、この時計を手にされる一人ひとりの幸せを願って、「吉祥模様(良い兆しやめでたい事を表現した模様)」の生地を選んで製作されています。

 

ひとつひとつ、作り手の気持ちがこもったFUGUROと、スイスのラ・ショー=ド=フォンで作られたジラール・ペルゴの「時計」は、いずれも【ものづくり】に対する情熱が注がれた珠玉の芸術作品です。




 

 

 



 

 

この事実を知ったことが、僕にとっての「終の時計」でありたいメーカーになったきっかけです。モノづくりの心の共鳴という点が他とは違うなという感動ってやつでしょうか…。

歳をとって意固地になって、見識が固執するようになったかもしれませんが、表面的な美しさにとらわれないジラールペルゴには、今までにない敬意を持つものとなりました。

 

 

誤解のないように補足しますが、他のブランドでも震災で義援金やコンサートなど被災地住民に寄り添ったアクションをしてくれています(日本ロレックス、オーデマ・ピゲ、ヴァシュロン・コンスタンタン、シチズン、セイコー、エプソン、フランクミュラー、リシャールミルジャパンなど)