一度そっちを向けばほぼ振り向くことなく走ってしまう…。
フリスビーを追いかける犬のごとく、ただただ先に漂うフリスビーのみ見据えて。
アンティークの時計に目覚めてしまうと簡単に後戻りができません。
そもそも・・・
1 偽物が多い
2 壊れやすいし直せない
3 売れない
の三重苦を知っていながら進んだ道なので、少々のことでは引退などの文字が出ることはありません。
そんな中なので当然没頭しまくっています。
今興味があって調べているのが手巻き時計を製造していた1930~1940年代あたりにみる、ロレックスのブランディングについてです。
ロレックスの始まりは、オイスター社など時計製造をしていた会社を傘下に収め、その集合体が一つの企業になったことにあります。
しばらくは各々の企業で製造されていた時計の販売も並行して行われていたようです。
とはいえ、既に1940年ともなればロレックスという一つの企業があるので、製造メーカーとしてはロレックスというのが妥当なのかもしれません。
(見た目はほぼ同じなのに??)
この時期は同じようなデザイン、同じキャリバー(Cal.59)を搭載し、名称が違うモデルを出していた経緯があります。
オイスターアクア
オイスターラーレー
オイスターリプトン
オイスタースカイロケット
オイスタージュニアスポーツ
オイスターセンター・セントラルグラフ
オイスターコマンダー
オイスターエディソン
オイスターソーラー
オイスターリコーダー
などなど…。その種類は30程ある…と噂されますが、その理由は書籍にも詳しく載っておりません。
現在のロレックスのブランディングといえば、
・定価販売で値引きはしない。(高級感の演出)
・たとえ人気モデルであろうと量産しない。(限定感、特別感の演出)
・エベレスト、深海などの極限状況でのタフさのプロモーション。(使いやすさ、丈夫さの演出)
の三本柱ですが、そのスタンスからはかすりもしていないのです。
なぜなのか?
経営者って経営理念とか大事にしている人が多いし、それで成功している人だと簡単には変更しないと思います。
それを考えると乱立する顔違いモデルを出しまくるなんてマネはさせないと思うのです。
その方向で考えた予想ですが・・・
時計製造の年代的には北米モデルと称したカナダ市場が活況になった時期なのでヨーロッパよりもアメリカに軸を置いた販売戦略が整備されていたのだと思います。アメリカは既にGDPが1920年代には世界各国の頂点でありましたので視線が向かって当然です。
ただ、価値の高いものへの関税が高かった当時のアメリカへ、ロレックスの高級時計の販売は難しい…。
では、半完成した(時計ではないただの部品)という状態でアメリカへ輸入され現地法人が組み立てし販売するというアプローチで関税の圧縮に成功。手ごろ感ある時計の販売に成功し、これが北米モデルの基となった歴史があります。
今でいうセントラルキッチン方式に似ていますね。
あとは完成まで組み立てる会社によってモデルを使い分けていた、のであればオイスター〇〇というただの文字盤違いが乱立してもおかしくないかもなぁと感じるのです。上記モデルのすべてがアメリカモデル、カナディアンモデルではありません。結構調べましたが史実に結び付くものがなく予想の範疇での結論となりました。
こだわりの時計であるのがロレックス。
それが自社のムーブメントではないものを使って、さらには顔(文字盤)というか、ただオイスターのあとの文字が違うだけという時計を…
1、ロレックス時計とは認識してほしくなかったからROLEXの表記や王冠マークを使わなかったのか。
2、ロレックスのメーカーの半完成品だと、高級品とみなされて関税が安くできないからロゴを使えなかったのか。
どちらかなのかもわかっていませんが、ロレックス社らしくないロレックス時計という不思議な存在の時計の一つであります。
デフュージョンモデルの原型になっている取り組みがここにはあったのではないかと思います。のちにその体系はチュードルの誕生により確固たるものになりました。
割とアンティークショップでも出回っているので、ちょっと変わったロレックスブランドの時計を探すにはちょうどいいものだと思います。