技術,軍事,そして資本主義
――デュアルユースと戦争ビジネスをどうとらえるか
田中史郎(宮城学院女子大学)
季刊『経済理論』 第55巻第3号 2018.10
まず,第1の「軍事先行技術発展論」から考察しよう。ここで,軍事技術とは,軍事活動に技術を意識的に適用させたものだと定義的に述べることができる。さらにいえば,軍事技術は「軍事生産技術」,「兵器技術」,「戦闘技術」などかなり広義に捉えることができるが,その中の「軍事生産技術」が軍事技術の中核と考えられている。そして,そのような軍事生産技術の研究成果が,民生技術の革新や発展を領導してきたという考え方を「軍事先行技術発展論」ということができる。
軍需品の生産技術には,いうまでもなく非軍事(民生品)のそれと重なる点も多い。また,軍需品のかなりの部分は,民生品の生産に使用される技術と同様の技術で生産されている。しかし,そうしたなかにあって,コア(中核)となる技術は軍事目的で先行的に開発されたものであり,また,それが民生品の技術に移植されていったという理解が軍事先行技術発展論に他ならない。このように,軍事技術が民生技術に転用されることを「スピンオフ」という。
これと逆の例も考えられる。いわゆるスピンオンと呼ばれるもので,もともと民生技術であったものが軍事の技術に転換したものも多い。というより,広くとれば,紙や鉛筆などの文房具であろうと,金属や合成樹脂などの素材であろうと,様々な機械や道具であろうと,極めて多くのものが軍事を目的とされる前に開発され存在していた。
技術の進歩の過程を,軍事技術が民生技術をリードするというように単純化できな
いことは明らかであろう。当然ながら,スピンオフの例もスピンオンの例も存在するのである。一方が他方に,一定方向的に影響を与えるという理解は一面的なもの
である。
軍事ケインズ主義
軍事ケインズ主義とは,戦争を行うことを公共政策の要とし,武器や軍需品に巨額の支出を行い,巨大な常備軍を持つことによって,豊かな資本主義経済を永久に持続させられるという説に他ならない。
軍事スペンディングが資本主義経済を活性化させ持続させるという思考にあえて「ケインズ」の名前を添えるのには理由がある。ケインズ自身が以下のように述べている。すなわち,「あなた方(アメリカ)の戦争準備は,犠牲を必要とするどころか,かえって個人の消費をこれまで以上に促進し,生活水準もこれまで以上に高める刺激要因になろう。それは,ニュー・ディールが成功しても失敗に終わっても,アメリカ国民に与えることのできなかったものであろう」,と。
ポーストは,アメリカを前提として,第1次世界大戦(1917年),第2次世界大戦(1941年),朝鮮戦争(1950年),ベトナム戦争(1964年),湾岸戦争(1990年),イラク戦争(2003年)の6つの戦争をとりあげ,軍事ケインズ主義が成立するか否かを吟味している。それによれば,前者の3つの戦争は,「戦争の鉄則」を裏付けているようにみえるが,後者の3つの戦争は,この鉄則を支持していないという。
ポーストは,①開戦時点での低い成長率,②同期の低いリソースの利用度,③戦時中の巨額な政府支出,④自国外での戦場,⑤開戦期間の短さ,⑥節度をもった資金調達などの条件が整っていれば,「戦争は経済にとって有益」だと述べつつも,そうした条件の戦争であっても,戦争終結後には不景気などの負の面が生じることを示している。
「経済にとって有益」だから戦争をするのなら、それは人肉を食らって生きるのと同じである。
ベトナム戦争以降の戦争は,経済に役立つ戦争となるための条件を満たしていなかった,というわけである。
もっとも,近年の戦争においては,「政府との契約を受けられる個別企業」にとっては有利だった,あるいは,イラク戦争は「大規模物量戦争からもっと賢いコンピュータ化した戦闘への移行」を告げるものだった,という指摘がなされている。こうした指摘は示唆に富むものであって,前者は,「軍事の民営化」,そして後者は「デュアルユース」に繫がるものだと考えられるが,それらにかんしては後に述べよう。
特殊的利害が「公共性」の装いを取るということ。
軍需は,生産財生産においても,生活資料(消費手段)生産においても寄与することなく,再生産に寄与しない消費ということになる。いうまでもなく,戦争や軍需拡大は,生産や再生産には結びつかない空費であって,それ以外ではない。再生産という長期的な観点からはそのように結論づけられる。
想定される屁理屈的反論としては、「防衛戦争では、敵の攻撃から労働力が保全されるので消極的にだが労働力の再生産に寄与している」とか「侵略の場合にも資源や市場を獲得することで生産に資する」とかがあり得る。
このようにみてみると,軍事先行技術発展論はスピンオフなどの例も存在するもののその例に包摂されない事例があり,また,理論的にも軍事先行技術発展論には限界のあることが示された。また,軍事ケインズ主義もそれを体現するような事例も存在するもののそれに反する事実も確認され,また,理論的にも軍事ケインズ主義には少なくても長期的には限界があることが示された。
昨今においては,これら2つのバリエーションとも考えられる動向がみられる。それが,デュアルユースと軍事の民営化(戦争ビジネス)と呼ばれるものに他ならない。前者は技術領域における軍事先行技術発展論からの変種,後者は軍事ケインズ主義からの変種と位置づけられよう。いずれにしてもこれらが変容を遂げているといえよう。
イスラエル国防産業の起源は、英国がパレスチナを委任統治していた1920年から1948年に求めることができる。パレスチナに移り住んだユダヤ人らは、イシューブと呼ばれる現地のユダヤ共同体を作り、非公式な自治政府とその軍事部門を設置し、さらにその下に武器生産部門を設けて、国内外から武器を調達した。
もっぱら防衛のために武装し外敵が侵攻してこない限り武器を用いることを控えたイシューブも存在したであろう。しかし,この時期の兵器生産がもっぱらイシューブの防衛のためだけに行われたかのような記述は,偏向している。実際には、イシューブ内には防衛目的だけでなく、攻撃的な行動を取る組織も存在した。例えば、ハガナーやエツェル(イルグン)などの組織は、アラブ人や英国当局に対する攻撃を行っていた。
[蛇足:イスラエルの「建国」前後にパレスチナ・アラブ人は存在しなかったという主張を時々見かけるが,だったら英政府との対立が決定的になる前から,イシューブが武装し他の集落を襲撃していた事実をどう説明するのか。襲撃された人々は何者だったというのだろうか。]
イシューブは武器生産を加速させるため、武器生産部門とアカデミアの連携を加速させ、現在にも見られる高度人材と国防産業の関係性が生まれた。
東西両陣営に所属している国々やアラブ諸国とは異なり、米ソなどの軍事大国からの支援を期待できないという点である。第二次大戦を通じて英仏の中東における力が弱体化すると、米ソがこの地域で大きな役割を担うようになった。しかし、両陣営はアラブ諸国を自陣営に取り込もうとしていたため、彼らの敵であるイスラエルを積極的に支援することができなかったのである。その結果、イスラエルは米ソから距離を置かれてしまい、フランスから武器を輸入することとなった。
1956 年に勃発した第二次中東戦争は、フランスとイスラエルの関係が深まる大きなきっかけとなった。両国は当時、異なる理由からエジプトを脅威として認識しており、何らかの軍事的措置を取る必要があると考えていた。そこで1956 年6 月に「暗黙の同盟(tacit alliance)」を結び、イスラエルはフランスとともにエジプトに対して共同作戦を実施する見返りとして、フランスから最新兵器を供与してもらうことで合意した。
フランスは、エジプトのナセル大統領のスエズ運河国有化宣言に反発したイギリスに加担した。理由は二つ。一つはもちろんスエズの利権保持。もう一つはアルジェリア紛争へのアラブ民族主義の影響を恐れたため。
完成品の輸入だけでなく、核関連技術を含む様々な軍事技術をフランスから提供してもらい、国防産業基盤を大きく強化することに成功した。
核の拡散防止など眼中にないフランス。
1962 年になると、これまでイスラエルへの武器売却に消極的であった米国が戦車や戦闘機などを提供するようになった。アラブ諸国が親米派と親ソ派に分裂し、さらにエジプトがソ連から爆撃機を購入したことで、米国はこれまで自国に課してきた対イスラエル支援の制限を大きく緩和できるようになったのである。また米国は、最新のパットン戦車や戦闘機を供与することでイスラエルが当時進めていた核開発を中断させることを意図していた。
見事にその意図は踏みにじられた。
967 年6 月に勃発した第二次中東戦争は、自立した国防産業を構築し、独力で戦力整備を進める必要性を強く認識させる大きな出来事となった。イスラエルは六日間戦争とも呼ばれるこの戦争で、エジプトなどに奇襲をかけることで、短期間で軍事的勝利を収めた。しかし、代わりに最大の武器支援国であったフランスは、この戦争に反対し、イスラエルへの武器売却を禁止するようになった。
ところが米国は1960年代からイスラエルが持つ戦略的価値を認識するようになっていたため、他国に先んじて1968 年には輸出規制を緩和し、最先端技術を含む様々な武器を供与するようになった。
「武器弾薬の独立」の成功は、GDP の1.5% にも及ぶ潤沢な国防研究開発費によって裏付けられていた。さらに、防衛装備品の開発に優秀な科学者や技術が集まるようになり、国防省は1970 年代初頭には、国内最大かつ最も成功した研究開発機関へと成長していたのである。その結果、国防産業は、第二次産業によって創出された雇用の2 割を占めるほどまでに拡大し、さらに、武器開発で成長した電子機器産業からのスピンオフが民間ハイテク部門を刺激するようになった。国防産業はこのような経緯から、イスラエル経済にとって不可欠な存在となっていったのである。
第2次産業部門の雇用の2割が軍需産業だという。イスラエル経済にとって不可欠な存在である「国防」産業を維持するためにも、常に敵を作り戦争を継続したいという欲求が存在していても不思議ではない。
1.資本主義社会における「産業」
現代社会において「産業」とは、もっぱら営利企業の活動であって自己増殖する価値としての資本の独り歩きを意味します。社会的制御から逸脱して膨張する傾向があり、実際にそうなっています。
軍事技術が民間企業によって産業化されると、国家だけでなく企業が意思決定に関与するようになり、誰が最終的な責任を負うのかが不明確になります。例えば、AI兵器が誤作動で民間人を攻撃した場合、国家、開発企業、運用者の誰が責任を取るのか曖昧となるのです。そうした状況では、濫用や誤用が抑制されず、労働する諸個人がその影響をコントロールできなくなります。
産業化された軍事技術は、企業の利益追求によって開発・拡散が加速し、倫理的考慮が二の次になる傾向を持ちます。戦争や監視が「ビジネスチャンス」として扱われ、人権や平和よりも収益が優先されるのです。例えば、 Palantirのような企業が、移民監視や予測警備技術を政府に売り込み、プライバシー侵害が問題視されるといった事態が実際に起こっています。利益主導の技術拡散は、社会的公正や人道性を損ない、軍事技術が民衆を抑圧するツールに変質するリスクを高めるのです。
加えて、軍事技術が産業化されると、それを保有・運用できるのは資金力と技術力を持つ少数の企業や国家に限られ、民衆との間に圧倒的な力の格差が生じます。これにより、民主的統制が困難になります。例えば、 サイバー兵器や高度な監視システムは、一般市民が対抗する手段を持たないほど高コスト・高技術化しており、国家や企業が独占しています。権力の非対称性は、民衆の自由や抵抗権を奪い、監視社会や抑圧体制を強化する基盤となっています。
問題はまだあります。産業化によって軍事技術が市場に流通すると、非国家主体(テロ組織、犯罪集団)や敵対勢力に渡るリスクが高まり、制御が難しくなります。軍事技術が「商品」として扱われることで、予測不能なエスカレーションを引き起こすのです。例えば、 小型ドローンや3Dプリント銃が民間市場で入手可能になり、武装勢力が利用する事例が増加しています。制御不能な拡散は、局地紛争やテロを激化させ、結果的に民衆が最大の被害者となります。
この中で最も重視すべきは「責任の曖昧化と説明責任の欠如」だと考えます。理由は、他の問題点(利益優先、非対称性、拡散)がすべて、この責任の不在によって増幅されるからです。誰かが責任を取らない限り、倫理的歯止めも、権力の均衡も、拡散の防止も機能しません。産業化された軍事技術が、国家と企業の間で「たらい回し」にされる現状は、民衆が介入する余地を奪い、問題の根本的な解決を遠ざけます。
2.「防衛」の問題点
そもそも何を「防衛」するのか明示されていない点が胡散臭いと思います。「それは、国防、国家・国民の防衛に決まっている」と考える人が大半でしょう。ではなぜ「国防産業」といわないのでしょうか。戦前の軍国主義との違いを出したいのでしょうが、インチキにもほどがあります。武器輸出の事実上の解禁、敵基地攻撃能力の保有など、「専守防衛」なるメッキはとっくにはがれています。
僕自身は国防には反対です。なぜなら、国家は社稷にとりついた癌細胞以外の何物でもなく、これは駆除すべき対象であって、防衛すべきものなどではないからです。癌細胞が自衛のために武装すること、そのための兵器・軍事技術の開発を産業化すること、こうしたことを許すなら,それは社稷の側の自殺行為となります。
以上の理由により「防衛産業の発展」に反対します。