rxtypeさんwrote
CHINAがやることは全て間違いという前提にたっているようですが、果たしてそうでしょうか?CHINESEは息を吸うから、息を吸う事は悪いのでしょうか?日本の場合は、CHINAと違って、愛国心教育というより、事実に基づいた教育をするだけで、祖国を好きになりますから心配無用です。実際に「心のノート」を見ましたか?その「我が国を愛しその発展を願う」のページは「あなたは「日本の伝統や文化」の頼りになる後継者である」というだけの内容です。伝統や文化を継承することのどこが問題なのでしょうか?逆に伝統や文化を軽蔑し継承しない国家は間違いなく滅びます。ですから、心のノートは素晴らしいというか、ごく普通です。これを否定する輩が異常なのです。
レスポンスをくださりありがとうございます。
「CHINAがやることは全て間違いという前提にたっているようですが」
僕としては、そのような前提を置いていませんし、おいているように読める文章を書いたつもりもないのですが、誤解を与えたとしたら、それはすべて僕の責任ですので、衷心よりお詫び申し上げる次第です。
投稿させていただいた一連のコメントは、必ずしも「心のノート」の記述自体を問題にしたものではありません。「心のノート」を用いる、用いないにかかわらず、愛国心教育一般の危険性を指摘するという趣旨です。
「逆に伝統や文化を軽蔑し継承しない国家は間違いなく滅びます。」
ヒュームでもハイエクでも、基本的に共通しているものと了解していますが、〈伝統〉というものは、現実の生活の中で生活主体自らが取捨選択して育んでいくもので、行政府が「これが伝統なのでこれを守りましょう」と「おすすめ」することがすでに〈伝統〉の概念に合致しません。
一党独裁権力の圧力がないソフトな形態であっても、そういうものを〈伝統〉とは呼べないという点でまったく同じです。
儒教に〈社稷〉という概念がありますが、〈社〉は土地の祭神を、〈稷〉は土地の作物を意味し、二つを合わせてその地の環境的自然に根差した土着の共同体を示す概念だということです。
〈伝統〉の苗床は、まさしくこの〈社稷〉であって近代国家のような賢しらなものに、その役目は果たせないものと考えております。
本居宣長も、《然れ共、人の作れる物にあらずして、神代よりおのづからある道あり。これ皆神の始め給へる物にして、実は自然にあらざれ共、人為にくらぶれば、また自然の如し。然るにかの漢国の陰陽五行などの説のたぐひは、みな神の始め給へる道によらずして、聖人共の、己が私智をもて、万の事を考えはかりて、造り設けたるものにて、その智は限り有りて及ばぬところ多ければ、かの神の始めたまへる道にかなわぬ事多しと知るべし》と「くずはな」に認めています。
「神が始め給へる道」というのがまさに、人為によらずして人々の生活に「自然」のごとく定着した習俗としての〈伝統〉の意味であり、誰かが「これが伝統だよ」と言わねばならないようなものは、すでに〈伝統〉としての資格を失った「造り設けたるもの」(ツクリモノ)と考える次第です。
人気ブログランキングへ