「あらゆる保守主義の基礎となっている観念は、物事は放っておけばそのままになっているという考え方である。ところがこれが誤りなのだ。物事をほうっておけば、まるで奔流のような変化に巻き込まれるに決まっている。たとえば白い杭を放っておけばたちまち黒くなる。どうしても白くしておきたいというのなら、いつでも何度でも塗り替えていなければならない」(「正統とは何か」p208)
伝統とは、労働する諸個人の生活経験の中から析出・結晶化するものであって、国家が集約することのできる限られた知識を用いて官僚が介入操作するようなことは、伝統破壊であると考えます。
先行世代が培ってきた知識・経験を若い世代に伝える教育においても同様であることをほかの方のエントリーで指摘させて頂いたところ、上記のご意見を頂戴しました。
チェスタトンの意見は、もっともですが、それをこの文脈で用いるのは、間違いだと考えます。
国家の不介入は国家の不作為ではありますが、対象(「白い杭」)がそれによって放置されるとは限りません。
国家が塗り替えなくても、当事者が塗り替えればよいのです。
人気ブログランキングへ