自発性――意思の領有による監督労働の内面化 | 草莽崛起~阿蘇地☆曳人(あそち☆えいと)のブログ

草莽崛起~阿蘇地☆曳人(あそち☆えいと)のブログ

自虐史観を乗り越えて、「日本」のソ連化を阻止しよう!

i.        なくならない サービス残業と過労死

サービス残業が1万8千件 03年に労基署が是正指導

 時間外労働(残業)に対する割増賃金を支払わないサービス残業があったとして、全国の労働基準監督署が事業主に残業代の支払いを求めた是正指導が、昨年1年間で1万8511件に上ったことが15日、厚生労働省のまとめで分かった。

 前年(約1万7077件)を1500件近く上回る6年連続の増加で、過去約30年間で最も多かった。労働基準法違反容疑で書類送検した件数も、前年の49件から84件に増加した。


 厚労省の集計によると、労基法や労働安全衛生法の違反を是正するため、2003年は全国の約12万1000の事業所を立ち入り調査。このうち、約15%に当たる事業所で割増賃金が支払われていないことが判明した。


 03年には、サービス残業で約65億円の未払い分が発覚した中部電力や、消費者金融最大手の武富士、大手百貨店の松坂屋などが是正指導を受けた。(共同通信)[Yhoo News 6151639分更新]

 
 

いまだに残る長時間労働、サービス残業

働き方改革関連法案が2019年4月1日より施行された。多くの企業は長時間労働の是正や、勤務時間インターバル規制などに対応し、社内制度の改革は進んでいる。
一方で、いまだ法令に沿わない長時間労働、賃金の未払いなど、労働者に過重労働を強いている事業者が存在していることが、厚生労働省の調査により明らかになった。
厚労省は、2018年11月に「過重労働解消キャンペーン」を行った。これは、長時間の過重労働による過労死などに関する労災請求があった事業場や、若者の「使い捨て」が疑われる計8,494の事業場に対し、重点監督を行ったものだ。
4月に公表された結果によると、全体の67.3%である5,714事業場で労働基準関係法令違反を確認。うち2,802事業場(33.0%)で違法な時間外労働が認められたという。》

  

ii.       指揮労働と監督労働

指揮労働…協同労働が行われる限り常に必要な、一般作業者の労働とは区別される、特殊な労働であり、労働の質的内容に、したがって生産物の使用価値(品質)に関わる労働である。この労働の役割は一般作業者一人一人の労働が、協同労働全体の最終的目標を実現するために上手く連携できるよう全体の調整を図ることにある。マルクスは、この労働を説明するための例として、オーケストラの指揮者[1]を挙げている。


監督労働…剰余労働の搾取をともなう強制的な結合労働においてのみ必要とされる労働であり、労働の量や密度に、したがってそこから生まれる利潤の源泉である剰余価値の大きさに関わる労働である。資本主義においても、剰余労働を搾取し、剰余価値を取得するために企業・資本家は、労働者が企業・資本家の意思どおりに企業・資本家が十分だと思えるような熱心さやスピードや時間的長さで労働するように労働者たちの作業態度を監視・監督することをしなければならない。


資本主義社会では、資本家自身や企業・資本家によって雇われた管理責任者が、指揮労働と監督労働を兼ねているために、本来は全く違う二つの労働区別が非常に見えにくい。そのために、「協同労働を行なう以上、資本家の存在を無くすことはできないのではないか」という錯覚が生じる。

iii.     自発性と強制的結合労働

利潤を上げようとすれば、どうしても、労働者の自発性を高めなければならないという現実にぶつかる。強制だけでは労働者のモチベーションが下がり、企業全体の短期の業績アップはできても長期的には業績は下がってしまうからである。

そこで、種々の決定権の末端への委譲を柱とする種々の企業組織の改革、職務編成の見直しが行なわれる。


だが、それでもやはり、企業の所有者・経営者側としては、当然ながら全てを労働者たちに任せることはできない。剰余労働を生産させるためには、監督労働によって労働者の作業態度を支配・監視しなければならないからである。企業全体の目標は利潤の獲得(すなわち剰余価値の搾取)におかれ,これに反しない限りでの自発性[2]が認められるだけである。


資本主義においては他人のものとなる剰余労働をより多く生産することに自発性を発揮させるという矛盾した目標は、しかしながら今日曲がりなりにも達成されている。いわゆる労働者の自発的服従として。


19872月に、43歳の総合広告代理店「創芸」副部長八木俊亜氏が、平日残業のほか死亡直前の土曜・日曜も自宅で7時間もワープロをたたいて企画書をつくり、水曜日に急性心筋梗塞により倒れた過労死の例は、『134時間、週25時間程度の残業では、過重な業務といえない』『休日に自宅でも働いていたという事実は、妻の証言のみで認定できない』と、マニュアル通りの解釈で労災が認められなかった。

  八木氏の手帳には、次の文章が残され、現代日本の「奴隷労働」を告発していた。


 『かつての奴隷たちは、奴隷船につながれて新大陸へと運ばれた。超満員の通勤電車のほうが、もっと非人間的ではないのか。現代の無数のサラリーマンたちは、あらゆる意味で、奴隷的である。金にかわれている時間で縛られている。上司に逆らえない賃金も一方的に決められる。ほとんどわずかの金しかもらえない。それと欲望すらも広告によってコントロールされている。労働の奴隷たちはそれでも家族と食事をする時間がもてたはずなのに。……』」(加藤哲郎「過労死とサービス残業の政治経済学」より)


自発性と強制の矛盾は、一面では、資本にとっての搾取労働の危機という性格を持つ。しかし、多面では労働者にとっての自発的な自己搾取の深化という性格を持つ。



[1] また、サッカーの例を使えば、いわゆる「司令塔」の役割もこれであろう。

[2] 「自発性」のゆがみはどこに現れているかというと、自発的な努力が過労死に至るような事態まで生まれていること、QCサークルなどの自発的活動も「各班は、一週間に最低10件の改善提案をすること」などのノルマが課されることによって、義務的なものと意識されるようになってモチベーションを高める効果が落ちてくること、などに現れている。