【「過去」との対話】「従属的帝国主義」について(その2) | 草莽崛起~阿蘇地☆曳人(あそち☆えいと)のブログ

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自虐史観を乗り越えて、「日本」のソ連化を阻止しよう!

以前のエントリー国民国家の歴史的重要性(2010/7/4() 午前 9:20)でも、エレン・メイクシンズ・ウッド『資本の帝国』(紀伊国屋書店、2004年)を紹介しながら、少しふれた事柄です。
 
そこでは、ウッド自身の論証は飛ばしましたが、彼女の「新しいグローバルなシステムの核心にあるのは、国民国家なのである。」(223)という結論は正しいと書きました。
 
つまり、国民国家は、グローバリゼーションによって意味をもたないものになったのではなく、新しい役割を担うことになったということです。
 
水島一憲氏も次のように述べています。
 
《グローバリゼーションの進行は国民国家の終焉をもたらしたわけではない。依然として国民国家は、経済的・政治的・文化的な諸規範の設定と調整において、きわめて重要な機能を果たしている。しかし、またその一方で、グローバリゼーションのプロセスが進行するにつれ、国民国家の主権がしだいに衰退してきたのも事実である。とはいえ、国民国家にまつわるこうした変化は、もはや諸々の国民国家など重要ではないということを意味しているのではなく、それらがより大きな構造のなかで機能しているということを意味しているのだ。》(「シンポジウム: 世界システムの変容と地域研究の再定義」における報告「帝国論の新展開」『史資料ハブ : 地域文化研究』№3,2004年3月所収)
 
近代国民国家は、国内市場の競争条件を整備し、労働する諸個人を賃金労働の鋳型にはめ込むための諸方策、残虐律法や救貧法に代表される諸方策を施行することで、資本が国内の諸生産過程を包摂することを助けたのでした。
 
今日、資本が、グローバルな地域間分業を自己の内的な生産過程に包摂しようとするとき、やはり国民国家は、そのために必要な国際的競争条件の整備、国際的労働力移動管理、人口(労働力再生産)管理などの役割を引き受けて、資本をサポートしています。
 
その際、これらのグローバルな課題は、一国民国家が単独では担いきれないものがほとんどなので、何らかの強制によって他の国民国家を従わせるか、共通の利害によって「協調」するかして、国民国家の多様な連合体やいわゆる「国際機関」が形成されます。
 
国民国家は、新しい役割を担うようになりつつありますが、この新しい役割も資本による労働の包摂を支援するという点では、以前と基本的に変わっていません。