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父が仕事から帰ってきて出かける段階になりました。(22時くらい)

帰り掛けに妹がもっともこの時間ならまだ最終電車に間に合うのでは

ないかということで、母が夫に電話をすることに。

母「今から来れない?」

と無茶ぶりをし迎えは義弟が行ってくれることになりました。

そして時刻表で何時に到着か調べさせようとする母。

マジで鬼だなと。

「陣痛の間隔の間に調べられるでしょう」と…。

「なぜ」「今」「私が」

それを調べる必要があるのかと問いかけたら、妹がそりゃそうだって母に突っ込んでいました。


そんなわけで病院に行きました。

父の車に私は乗り、後から母がついてきました。

夜間入口に着き、父は車を止めてくるということで私は自分の荷物を乗ったのですが、

なぜか母が降りてきて“母の”荷物を持って先に行っておいてと。

 

今も書いてても思うんですけどなんかこの時の母やってること支離滅裂ですよね。後で聞いてみたこともありますが、「よく覚えていない」そうです。

 

先生に診てもらったらこの時点で子宮口7センチになっておりました。

よく頑張りましたねって言われました。

私はただみんなが夕飯を食べていた中唸っていただけですが笑い泣き笑い泣き笑い泣き

分娩室の前の準備の部屋に行き、母に陣痛が来ると痛みそらしをしてもらいました。

力が弱いのは仕方ないのですが、「ぐっと押えてくれ」と

伝えているのにサワサワマッサージをしてくる。

そうすると痛みが広がってしまい、もう全身激痛ゲローゲローゲロー

話せる状況じゃないし、理解力のなさにほとほと疲れ切っていた私は「もういい」という意味で手を叩いて拒絶の意を示しました。

 

夫は日付が変わる頃に来てくれて母と代わってくれてからは

モニターでわかる陣痛のリズムで「痛い」と思う0.5秒前から

力を入れてぐっと押さえてくれるので本当に助かりましたおねがい

深夜3時ぐらいに子宮口が全開になり、ここからいきめばよいと言われました。

「結構いいペースで来ています。初産でも明け方には生まれるんじゃないですかね」って助産師さんに言われました。

また助産師の卵の学生さんがずっとついていてくれて、心強かったです。

途中走馬灯が見えた気がしました。中学時代の部活の出来事とか色々かけめぐっていました。

はあ、もうすぐだなーと思ってました。そう、この時は…。

 

に続く