4年前の東日本大震災は、計り知れない無辜の命と資源を損壊し、加えて、原子力発電という安全神話を崩壊させ、それにより地域住民が「疎開」を余儀なくされ、日本のエネルギーコストを逼迫させる結果となっています。


一方で、沖縄の基地問題。これは落とし処が難しい問題ですが、翁長知事が本気なら、むこうH33年までに毎年3000億円交付される沖縄振興予算を拒否すれば筋が通る。本来翁長知事は先の県知事選において、米軍基地の県外移設に関して賛否を求めるのではなく、米軍基地の県外移設か振興予算の獲得かを争点にすべきであったと思います。仲井眞前知事もその点、争点を誤ったのです。


そして、集団的自衛権の「行使の容認」に関する国会審議。野党は相変わらずの問題すり替えによる審議先延ばし作戦ですが、メディアサイドも異口同音の反対キャンペーンが活気付いているように思えます。個人的には、安倍政権には踏ん張ってほしい局面です。


そんな折、先日図書館で借りた「日本の勝機」(櫻井よしこ+国家基本問題研究所)という本の中に一章が設けられた「憲法とアベノミクス」~遠藤浩一・拓殖大学大学院教授~の内容に共感しましたので、引用させてもらいます。



遠藤浩一

民主党政権の負の遺産を清算し、デフレから脱却して日本経済を成長軌道にのせ、自由貿易体制の中でナショナルエコノミーを育成し、少子高齢化の波を掻き分けて共同体の活力を維持・向上させ、


資源無き日本に相応しいエネルギー戦略を確立し、貪欲な領土的野心を示して現状変更をはかろうとする中国やその手代よろしく事大主義に凝り固まった韓国を相手に冷静にかつ毅然と対応し、


自国の領土・領海・領空と国民の生命・財産、さらには国家と民族の誇りを守り、腰の落ち着かない米国を叱咤して日米同盟の安定化・健全化をはかり、


歪んだ教育を再生し、東日本大震災からの復興を確かなものとしつつ天災の被害を最小化すべくインフラの強靭強化をはかり、さらには、半世紀以上にわたって日本国及び日本人を縛ってきた奇怪な呪縛を断ち切るという仕事を、ほとんど同時併行的に進めなければならない。


こんな大仕事を自ら背負ってみせると宣言するのは、よほどの身の程知らずか、歴史に背中を押された「選ばれた宰相」のどちらかである。








日本の勝機 ―米中韓の変化に果敢に向き合え―/櫻井よしこ+国家基本問題研究所

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訪米中の安倍首相。27日(現地時間)、ハーバード大学ケネディスクールを訪れた安倍首相は演説後に「日本政府が第2次世界大戦中に数多くの女性を強制的に性的奴隷にしたが、介入したことを認めるか」という客席からの質問を受けた件。


質問者は、韓国系ハーバード大学2年生のチェ・ミンウ氏(20)だそう。ハーバード大学で学ぶほどの秀才でもこの程度の認識か、とむなしい思い。まぁ、そういう教育を受けたのだから仕方あるまいと諦めます。


それより、カチンときたのは、このニュースを報じるメディア。彼の質問に対し、次のようなコメントはしていましたが、それだけ。



ハーバード大学2年生チェ・ミンウ

安倍首相は「(慰安婦被害女性たちが)人身売買にあい、言葉では言いようのない苦痛を味わったことを思えば今でも胸が痛む。この気持ちは歴代首相らと違わない」と話した。


引き続き「河野談話を継承するということは何度も話してきたし、こうした観点で日本は今まで慰安婦被害者を実質的に癒すためのさまざまな努力をしてきた」と話した。


最近、慰安婦問題の悲惨さを薄めるために使ってきた「人身売買(human trafficking)」という単語を再び使い、日本が紛争地域の性的暴行の根絶のために莫大なお金を投じたことを強調した。[ 中央日報/中央日報日本語版]

http://japanese.joins.com/article/641/199641.html


かつて、メディアは次のように定義されました。


メディアとは「人間社会において、人と人とを結び、人の目となり、耳となって働く情報媒体」のことであり、人々の知識や考えに決定的な影響力をもっている。メディアは、いまや私達の地球的規模の社会観、世界観を根底で支えているといってよいほどの巨大な存在となった(渡辺武達同志社大学名誉教授1997)。


上記に引用した中央日報のコメントは、次のように締めくくっています。


日本の安倍晋三首相は結局、謝罪しなかった。慰安婦被害者に対する「謝罪(apologize)」もなかったし、日本政府が慰安婦問題に介入したということを「認定(acknowledgment)」することもなかった。慰安婦被害者に対する心のこもった謝罪は探すことはできなかった。安倍首相の「謝罪なき訪米」に対する憂慮が現実となった。


私にしてみればごく普通の対応であったと思いますが、主義主張の相違には高くて厚い壁が立ちはだかっています。ここで私が気になったのは、ハーバード大学がなぜこの韓国系米国人学生にこの質問をさせ、日本国側もそれに応じたのか、ということです。


ハーバード大学は恐らく米国政府の意向もあらかじめ忖度しての判断だと思いますが、ここには総額320億ドル(約2.5兆円)にのぼる、寄付された資金などでつくる大学基金の影響力があるのではないかと思います。


安倍首相の「歴史認識」を、「抗日勝利70周年」で日本を翻弄する中国、それに追随する韓国、そしてそれを腫れ物のように扱う米国。恐らく、ハーバードには中国、韓国からの多額の寄付が投じられているものだと思います。これを、同じように腫れ物のように扱うわが国のメディアは、最早、ネット社会において情報を垂れ流すだけのレームダックとなっているのだと思います。







メディア・リテラシー―情報を正しく読み解くための知恵/渡辺 武達

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最近目にする、ミスタードーナッツの「ブルックリン・メリーゴーランド」のCM。私はまだ食べたことはありませんが、私が気になるのが、「メリーゴーランド」の方。正しくは、「merry-go-round」で「メリーゴーラウンド」だそう。



実は、「メリーゴーラウンド」が「merry-go-round」だということは以前から知っていましたが、「Merryちゃんが回るよ」位の意味だと思っていつつ、だったら「merry-goes-round」じゃなけりゃおかしいな?とも、どうでもいいような疑問を持っていました。



で、今回改めてネットでチェックしてみて、意外な由来に驚き。まずは、Merryは「メリークリスマス」のメリーと同じで「楽しい」の意味。「楽しく回ろうよ」が「merry-go-round」なんだと知りましたよ。結局、そのまんまなんだ。



ブルックリンメリーゴーランド

次に・・・

遊園地業界では木馬が上下に運動しないものを「メリーゴーランド」、木馬が上下に運動するものを「カルーセル」と呼び分けている。



ウィキペディアには・・・

英語 では一般的にリゴゥラウンド(merry-go-round)と言うが、アメリカ合衆国 ではキャラル(carousel)、 イギリス ではウンダバウト(roundabout)、フランス語 ではカルーゼル(carrousel



つまり、「カルーセル」は、フランス由来で、1860 頃、フランス 蒸気機関 を動力として作られ、1870 頃にはヨーロッパ アメリカ などに広まったもののよう。



そして・・・

まず「カルーセル」という言葉は、スペイン語のcarosellaやイタリア語のgaroselloという言葉が語源で、それらの言葉は、ラテン語のCarosellaから来ています。意味はなんと「戦争」です。



12世紀頃にトルコやアラビアで馬乗りの練習用に使われていた装置がその「カルーセル」で、馬上でも剣を使えるようになるためのものでした。つまり、戦争練習用の器具だったのです。



これをヨーロッパ十字軍が見つけました。中世ヨーロッパでは「馬上槍試合」が行われておりその練習用に使えると、帰国後カルーセルを改良して新たな練習装置が作られました。


メリーゴーランドの歴史(世界編)→【遊園地ドットコム!】


「戦争」と「平和」。人類が悠久の昔から希求しながら、未だ達成し得ない「戦争のない地球」。一方で、「戦争」は多くの技術革新を生み、モビール、モバイルとして必要不可欠な技術を提供し世界を席巻しています。そしてその平和利用の両者も使いようによっては、諸刃の剣。まさに「回る、回るよ、世界は回る」の回転木馬なんですね。



余談・・・

主にアメリカ野球では、merry-go-roundは日本野球で言う「押し出し 」に相当する用語だそう。



さらに・・・

「カルーセル麻紀」さんの「カルーセル」は、「彼女」が勤めていた大阪のゲイバーの店の名から取ったものだそう。「回転」ではく「転換」?なんか意味深です。








メリーゴーランド (新潮文庫)/荻原 浩

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