お餅の食べ方
ブログネタ:好きな餅の食べ方は? 雑煮?お汁粉?それとも…? 参加中本文はここから
子供の頃は石油ストーブの上にアルミホイルをしいて、その上に四角い切り餅を並べ、プクーっと焼き上がったら砂糖醤油につけて海苔をまいて磯辺焼き状態でいただいてました。
おばあちゃんがよくそうやってつくってたのであの食べ方が懐かしいです。
また、当時は
「お餅ひとつでごはん一膳と同じなんだよ」
といわれてびっくりしてました。
おもちだと3つとか4つ食べちゃいますからね。
宝くじの話
ブログネタ:宝くじが当たったら人に言う? 参加中本文はここから
スピードくじは幾度か当たったことがある。
高額の宝くじにあたった友人から話を聞いたが100万円を越えるとかなり物々しくなる模様である。
自分が当選した場合は人には言わないでいたいがそれは難しいのではないかと思う。
なので言いたくないが言ってしまう可能性が高い。
ポルシェがVWを子会社化
VWをポルシェが子会社化しようとしているとはスゴい限りである。
こんなことが起こっているのか。
http://sankei.jp.msn.com/economy/business/080304/biz0803041941009-n1.htm
こんなことが起こっているのか。
http://sankei.jp.msn.com/economy/business/080304/biz0803041941009-n1.htm
サーボーグ009の年か

久しぶりにオヤ?!と思う新聞広告に出会った。
なるほど「009」と「2009」をかけたわけか。
「サイボーグ009」は全巻を通して読んだことがなかったのでこれを機に購入してみることにした。
記憶では巨人編や生命の樹などさまざまなテーマが盛り込まれており壮大なストーリーだった。
サイボーグ009 (23) (秋田文庫)/石ノ森 章太郎

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G・R・O サイボーグ009 島村ジョー カラーVer(R.A.W.S製)
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サイボーグ009 Vol.1 [DVD]

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2009年元旦は午前1時からカレイの煮付けをつくるの巻
午前1時からカレイの煮付けを作成。
いただきものとはいえ立派なカレイであった。
手元に「みりん」がなかったので深夜のコンビニでみりんを入手。
ついでに日本酒とショウガも入手。
魚の煮付けには日本酒とショウガは欠かせないのである。

平成20年住吉神社例祭(本祭り) シームレスなライブという面白さ
6年ぶりに月島は住吉神社例祭(本祭り)に巡幸する八角神輿を観た。祭の熱気は凄まじ く、特に神輿の近くは周囲より数度は温度があがっているに違いない。
僕の地域の夏祭りは野馬追いといって、武装し騎馬にまたがり行われる軍事演習で、この 映像にでてくる神輿のように入れ替わり立ち代わり参加することは難しい。
そのため神輿を使った神事は新鮮で見入ってしまった。
参加する人々(担ぎ手)は入れ替わりながら神輿を担ぐ。
僕は一度だけ担ぎ手として参加したことがあるのだが、担ぎ手として神輿を担いでいる時 の熱気や興奮は舞台に立つ時のそれに似ていた。
そして、神輿の周囲で神輿をみているときはライブに参加しているという感覚。これが担 いでいる時と休んでいる時でくるくると切り替わる。
ライブの場の中心に神輿が存在し、参加する自分は演者となり観客となる。この感覚は非 常に面白く
「ああ、これはシームレスなライブなのだな」
と思った。
祭の持つ「面白さ」の本質について調べてみたくなった。
こういうことは野知師匠ややまけんが詳しい。
なので、次の会合の時に「祭の面白さ」についてディスカッションしてみようと思った。
バットマン・ダークナイト 〜この映画は本気である〜
結論から言おう。
「この映画は本気である」
それが視聴後に僕が感じた全てである。
これほどまでに強烈な映画体験を与えられるとは思いもよらなかった。
バットマンシリーズはティムバートンの重苦しい笑いのリズムとジャック・ニコルソンの ジョーカーにどうしてもなじめず、2作目以降はみるのをやめてしまっていた。
しかし、監督がクリストファー・ノーランに変わった5作目からは雰囲気がガラりと変わ り、割と好みの映像になっていたので今回も観ることにした。
TVCMやネットで公開されている予告編をみる限り、相変わらずジョーカーはリアリテ ィがなく、どうになじめなかったがとにかく観ておきたいと思ったので豊洲ユナイテッド シネマの先行上映を観に行った。
オープニングから度肝を抜かれた、凄まじい映像のクオリティである。
リズムも良い。
ティム・バートン版とは全く違う。
一瞬でその世界に引き込まれた。
序盤からものすごいアクションシーンの連続である。
おそらくCGも多用されていると思うのだが全く違和感がなくCGと実写の切れ目がわか らない。
映像のパワーも凄まじいのだが特筆すべきは脚本である。
とにかくこれでもかというくらいにストーリーがうねりまくる。
全く飽きさせない。
ストーリーの波状攻撃である。
見終わったときは通常の映画を3~4本観たくらいの充足感を感じた。
これほどまでに重厚な映画をこれまで体験したことはない。
希有な映画体験である。
どういうことか?
詳しく説明しよう。
ストーリーが練りに練られており、主要登場人物がそれぞれにドラマを所有し、おのおの を主人公としても十分に映画が成立してしまうほどキャラ設定と描き方が完璧である。そ して、驚いたことにこれらの登場人物がしっかりと主役としてドラマを演じる。これには 参った。どのシーンをとっても無駄がなく、ストーリーが書き込まれており、とにかく完 成度が高い。
更に、様々な仕掛けでドラマは次々とクライマックスが連続する。
終盤にさしかかる頃には
「オイオイ、まさかこの映画、まだこのテンションで続けるのか?それって、マジ?ホン ト、そこまでやってくれるのウウソ?!」
と終わらないドラマに驚喜した。
そう、クライマックスは次のクライマックスの序章であり、いつまでも最高の時間が終わ らないのである。
これにはやられた。最後に3つくらいクライマックス級のストーリーが続くのだがこの波 状攻撃は本当にスゴくて、
「エーそこまでしてくれるの????」
とエンターテイメントの世界の底力のスゴさをみせられた気分であった。
「バットマン ダークナイト」はお得とかお得じゃないとか面白いとかつまらないという気持ちを超えて いた。
じゃあ、この映画はなんなのか?
それを考えた時に僕の中に浮かんだのは
「本気」
という言葉であった。とにかく映画を構成する全て、あらゆるシーン、あらゆる音、あら ゆる演技、あらゆる映像。
それらが本気なのである。
CMにも出てくるがトレーラーがひっくり返るシーン。
あのシーンは凄まじすぎて声もでなかった。
どうやって撮影しているのか検討もつかない。
それなりに映画を観ている方だと思うがこんな体験は希有である。
これをなんと伝えていいのかまだ適切な言葉が見つからないがこれほどまでの映画力をみ せつけられたのははじめてである。
ショックを超えている。
作家性、作品性によって心や脳を揺さぶられる経験はあったがエンターテイメントを主軸 においた映画作品によってこ
こまでショックを与えらるとは想像もしなかった。
僕がこれまで観てきたエンターテイメントの中で文句なしにトップの作品である。
本当にここまでやるんだ、あの人たちは。
人の世界の可能性や未来を信じてもいいのかもしれない、と思った。
いい映画はたくさんみてきた。
けれどそのどれとも違ってエンターテイメントの王道を貫いて、それでもここまで脳に迫 ってくる映画が開発できるのだということに僕はショックを隠せない。
「本気」は世界を動かすかもしれない。
「本気」はエンターテイメント作品でも脳をゆさぶってくる。
おそらく僕が感じたショックの正体は映像の向こう側にいる、人間の思考のエネルギーだ 。
それが作品としての映像や音や全ての要素を通じて、ストーリーや作品性を超えて伝わっ てきて、僕の脳をゆさぶったのだ。
とにかく強烈な体験であった。
僕は観ているだけなのにそこに参加していた感じさえする。
このような体験ができたことに本当に感謝したい。
ありがとう。
エンターテイメントの未来を観た気がする。
7月28日の雷の映像
窓の外に稲光が見えたのでベランダで撮影したんですが雲が厚いのと方向がちょうど皇居方向でビルの陰になってしまい、雷の姿をとらえたのは一瞬だけでした。この直後、東京地方は豪雨に見舞われます。
「崖の上のポニョ」と眼の存在と夕方
NHKプロフェッショナルの宮崎駿特集で草案をみていらい心待ちにしていた「崖の上の ポニョ」が今日7月19日から公開である。
日中をさけ、先ほど、深夜の回に足をはこんだ。
今回はCGはなし。
全て手描きのアニメーションとのことだった。
前半のアニメーションの躍動感は素晴らしかった。
特に「命の水」のシーンは凄まじいテンポだった。
特に何を考えるでもなく観ていたのだが、水に目玉が加えられることで海水が異物に変わ ることに恐れを感じた。
「目」の存在は事物の意味を変えてしまう。
アニメーションの持つ意味変換機能といったらいいだろうか、あるべきでないところに「 生物的」な要素が突然生じるとそこに恐れを感じてしまう。
映画の内容についてはネットでも賛否がわかれている。
大別すると前半のファンタジーな展開については手描きの柔らかさと躍動感もあって、概 ね良好な反応。
しかし、後半の謎に関しては「意味不明」の評が多い。
では僕はどう思ったのか?
見終わった直後は「物足りない」と感じた。
しかし、すっきりしない何かが残っていた。
その何かについて考えながら映画館のエレベータに乗った。
帰り道。
解決されずに終わった「謎」について反芻していた。
月夜を自転車で月島に戻った。
橋の上で釣りをしているオジサンがいた。
映画館に向かう時にも彼をみかけた。
フッコ(スズキ)をヒットさせ取り込んでいるところだった。
いまは、橋の上で2匹目の獲物を取り込んでいた。
ポニョの謎についてだが、例えば
「ソウスケ(主人公)の家の結界を張ったのは誰か?」
これは作品中では明らかにされていない。
この謎にもおそらく答えはないのだろう。
僕はソウスケの母、リサがもともとは海の人で彼女が結界を張ったのだ、と思ってみてい たがそれも定かではない。
作品は観た人の数だけ解釈が存在する。
よって観た人がどう感じたかが大事だ。
正解を探すために観るわけではない。
しかし、そこに正解を求めてしまう。
小学校の頃の国語のテストの設問に慣れすぎたせいだろうか。
「この作品で著者が最も強く伝えたいのはどんなことでしょう」
こうした問いは読み手の「読み」の自由を奪ってしまう。
観て、感じたことがその人にとっての作品の意味なのだが正しく解釈しなければいけない 、という無言のプレッシャーが存在する。
作品を観たり、読むことで、興味を持ち、他者の解釈を知りたいと思ったなら他者の解釈 を読めばいいし、著者の創作プロセスを知りたいと思ったなら調べてみればいい。
自分の感じた意味と他者の解釈が違っていてもどちらかが間違っているわけではない。
この場合「正解」であることは重要ではない。
あなたがどう読んだか、どう観たかが大事だ。
というわけで「崖の上のポニョ」についても
「カワイイ」と思ったらそれでいいし、「つまらない」と思ったらそれでいい。
そこで僕が劇中で一番良かったシーンについてメモしておく。
派手なシーンも良かったし、ポニョの表情も良かったが僕が一番印象に残っているのは最 初にソウスケが家についたシーンである。
派手な運転でリサが山道を駆け上がり、家の駐車場に車をとめる。
家についたのは夕方だろうか。
崖、というよりも、丘だが、丘の上の家の夕方にどうしようもなくいやされた。
できることならこういう家のこういう夕方を過ごしたい、そう思った。
ポニョともストーリーとも全く違うが僕が一番心ひかれたのはそんなシーンだった。