運命を替える彼(海くんね、美術教師じゃないよ)の登場を迎えた所で、一旦リセットです。この後続く内容が、私にとっては精神的にキツイ面を持っているので、果して書き続けていけるのか、自分自身でも不安でいっぱいなのです。

そもそも、今更何で、嫌な筈の過去に向き合おうとブログを始めたのか、こうする事が、本当に良かったのか?自分でも、まだ解らないのですが、、、

現在、私には大切にして行きたいと思える人と温かい家族に恵まれる事が出来ました。それならば、その人達との未来だけ前だけを見て、必死に生きて行けばいいじゃない?と思う方も多いと思います。私も同じ気持ちでこの2年程を過ごしておりました。過去は過去、さっさと切り捨てて新しい事だけに目を向けて行こう。。。


けれど、気持ちとは裏腹に、染み付いた記憶は、幸せになりたいと思う私を嘲笑うかの様に、日常生活のあらゆる場面で壁を作ります。相手を信用している筈なのに、深く向き合えず、いつの間にか一人で居たくなったり、逃げて避けてしまう。原因が、過去によるものなのか?本来の自分で持っているものなのか?見境がつかなくなって狂いそうになる。。

もっと、苦しい体験をしてきた人もいると思います。今現在、苦しんでいる方もいるでしょう。それを思うと、何て私は甘いんだ、弱いんだと情けなくもなります。私は、この自伝を通し、少しでも、自分を変えて行ければな、と考えています。また、同じような境遇を持ち合わせフラッシュバックなどで苦しんでいる方の力になれればいいな、とも思います。


ここから先、更新が滞ってしまう事もあるかもしれませんが、何とか続けて行きますので、温かい目で、見守って戴ければ、嬉しいです。
日常生活に戻った私は、積極的に、周りの人間とコミュニケーションを取るようになり行動範囲もドンドンと広げて行った。

今迄は、偏りがちで、自分の興味の範囲でしか視野を広げようとはしなかったし、特に外部から受験で入ってきた同級生に対しての心の内は冷たかった、彼女らの描いた絵が余りにも描き込みが足りないと感じたし、結局は就職への踏み台程度の軽さを感じ、どの絵にも感情がなくて、つまらない、正直、才能が見て取れなかった。だから、表面がどんなにアーティスティックにサイケでも、ファツショナブルで格好良くても、影響力のない別世界の生き物扱いをし、どこかで区切りを付けていたのだから、冷たいと思われても仕方ない。多分、私を嫌ってた人多かったんじゃないかなぁ~。。。
いや、もっと単純な理由が根底にあった、学科の成績が悪かったはMは、外部から受験したのだが、見事落ち、別の短大へと進学した。Mが落ちたのだから、受かった人間は、凄腕だろうと期待した私は、彼女らのMの足元にも及ばない作品を見て怒りが治まらなかった。思えば、彼女達に何も怒りをぶつけられる筋合いは無かっただろう、迷惑な話だ。。。


話して、近づいてみると、魅力的な人間も多い、余計な拘りで一年を無駄にしてしまったと後悔した。


高校までは、公立で頑張ってバイトを重ね受験した子や、新幹線で通う子(家から二、三時間かけて通う子は当り前だった)、五度も芸大を受け落ちて仕方なく来た子、高校までは、進学校だったけど、どうしても絵の道に進みたくて、方向転換した子←このパターンが多かったな。割合良いって言われてる学校から、何でなのか多数来てる、、双葉、白百合、青山、大妻、学習院、、、皆、学校では浮いていたらしい。


浮いていたのは私もだ、二歳から絵画に触れる機会を貰い、小学生では既に、絵の世界に進むと決めていたので、中学では同校を受験する予定でいた。交通事故を起こし、断念せざる得なかった。公立の中学に進むのは、過程でしかなく、周りがくだらなく思えて適当に過ごして居た。中2の時には、先輩からもクラスからもひどいイジメを受けた。当時、校内でスカート丈はふくらはぎ位の長めが主流で、流行り初めたコギャルを見て、私も背が余り高くないから短くした方が脚が綺麗に見えるよな~と、鏡の前でああでもないと四苦八苦しながら調節して、自分のベスト丈、膝上15cmに自ら丈詰めをし、これも足が綺麗に見えるややルーズにした。たった是だけで、先輩に呼び出された。
「そんな文句言う前に真似してみたら?可愛いと思うけど」私のこの一言で、怒りをかったようだ。
クラスの女の子は、このやり取りを知って、引きまくり、同じ目に合いたくないと全員からシカトされ、担任からも休学するか?大丈夫か?と言われる程、質の悪いイジメは続いた。。。。

結局、3年に上がると、そんな先輩も消え、スカートを短くする子も増え、クラス変えと同時に個性的な友達が出来たので、イジメは無くなったのだけど、、本当にくだらなかった。ただ、親に話さなかったのにバレていたのか、父からは「我儘と自己主張や個性は違うんだよ。」とか「倫さんには謙虚さがない。自分に謙虚である事は成長に繋がるんだよ」などと言われていた。


今思うと、父の話した意味が良く解るし、私の押柄な所が、頑固と言うか何だか、ガキンチョだったなぁって笑えるんだけど。。。


そんなこんなで、生まれ月の春が過ぎ、教育実習の話が持ち上がった、学校の先生になるのが夢だった私は、その苦い思い出のある、中学校への実習を敢えて選んだ。。絵が好きな子ばかりに教えるのって、つまらない。と感じたからだ。母校を選んだのは、変わらぬ雰囲気に風を与えてやろうと思う悪戯心だ!!


実習は二週間、有り余って溢れていたエネルギーは全力で此処に注がれた。


先ずは、実習プログラム。
どんな事を課題にするか、考えるだけでワクワクした、あんなのこんなのと沢山の課題を持って担当者に会いに行って驚いた。私が在校中に習ったし、当時若かった彼は「君の絵にひかれたのか、女性としてひかれたのか解らないけど、二人で会ってみてくれないか?」と教師らしからぬ訳の解らない事を私に言い出した美術教師だった。暑苦しい外人顔が受け付けなくて、その時は断ったけれど、気がある事を良いことにその後大分、甘えさせて貰ったのが記憶にある。。。。
なら、余裕だ。心の中で舌を出した。やりたいようにやらせて貰える。。


突然の再会に、教師は大喜びで私を向かえ入れてくれた。持ち寄った、課題に感嘆の声を発しながらも、「残念だけど、難しいと思う。今の子達に、発想力を求めるのは無理だよ。引かれたレールの上をなぞる様にある程度までは、導きながらでないと。短期間だし無理しないほうがいい」と豪語した。ガッカリした。

そんなに難しい事ではないし、楽しんで貰えると思うんだけどなぁ。。と腑に落ちない気持ちをしまって、課題を考え直す事にした。職員室は変わらなく、懐かしい顔もチラホラ見えた。何となく、当時が甦ってきて皆に逢いたくて、椅子に座りながらぼんやりしていた。その間に、美術教師は受け持つクラスと学年全部の顔写真と名前をコピーし、あらゆる資料を用意し、「期待してるよ!楽しみだなぁ」と、私を見送った。その日はそのまま自宅に帰る気になれず、中学校時代の友人を呼び出した。留学中の千穂以外は、難なく捕まって、私を含む四人で話が盛り上がった。亜紀は、現役で芸大に受かり、ウキウキしていたし、バブル崩壊前に就職が決った佳奈と圭ちゃんも、OL・Lifeを満喫してるみたいで皆、綺麗になってキラキラしていた。話はつきる事なく盛り上がる一方で、クラス会をやる事までトントン拍子に決まってしまった。



それから、二週間後、私は広い体育館の舞台の上で、実習生代表の挨拶をした。天職かもしれないと浮かれた、全校生徒1000人の前で、思いをぶちまけたが、不思議と緊張もしないし、声は大きく響き渡り、スカーっとした。


問題の課題は、パッケージデザインで決めた。ギリギリのラインだったが、何とか押し切った。実習生は、国語の子が同級生で、数学二人が二学年上、英語は数十年先輩、化学が1つ上、って感じで、一緒の待機室を共有した。皆やる気満々だったから、楽しくて仕方なかった。

私が、母校で実習し帰る頃には、例の友人と集まり、クラス会の準備、、圭の家で電話しまくって、人数は着々と増えていく。亜紀のママが開いた小さなスナックを貸し切りにさせて貰える事も決まり、クラス会はその週の日曜日へと迫っていた。


この頃、私は引っ越しをして一人だけ皆と一つ駅の離れた場所で住んでいた。
とは言っても近所なのには変わり無いし、学生とは違う風を運んでくれる友達や、私と同じ世界ながら、別の刺激を与えてくれる友人たちとの時間はブランクを埋めるのに必死に成る程楽しくて時間が足りず、夜中迄遊んでも又逢いたくなる。両親は、そんな私を束縛しようとした。門限11時とか、1分でも過ぎたら家に入れて貰え無かった。私は苛立ちを押さえられず、何度も門限を破ったし、夜中に遊んで駄目なら、一旦帰宅して数時間後早朝なら文句無いでしょ?とむきになって何度も同じ事を繰り返した。両親は、質の悪い友達と付き合いが再会したと嘆き、この言葉に元々あった父、母への不満、は爆発寸前だった。。。


そんな最中に、クラス会は予定通り行われた。

久し振りに会うクラスメイトは、本当に19才?って疑うぐらい禿げた子も太った子も居たけれど、働きだして大人っぽく見える子や、受験に成功して楽しくて仕方がないといった子も多く、一気に盛り上がった。


私は、幹事が上手く行ってホッとしカウンターで、数人と語っていた。ジャニーズ張りに格好良くてモテた三人の男の子達だ。当時はCoolだった彼らも角が取れて、はしゃいで喋りまくっていた。私が、実習に行ってて話すネタ切れで困ってると話すと、必死になって話せもしない下ネタを仕込んでくる。話が本当とまらなくて、お開きになった後も、奴らと、片付けをした。
「花火やろーぜ」
啓太が言った。皆で、子供みたく夜中にやる花火は綺麗で時を戻すかの様でうっとりした。私は、小学生の時から一緒の海と花火をグルングルン回しながら走りまくった。海は、夜勤明けで寝てないからと酔っ払って、花火代だと一万を私にくれて、しばらくしたら眠ってしまった。綺麗な顔だなぁ。背、高くなったなぁ~、脚こんなに長かったかな?小さい時から知っている彼が、働きだして、大人の男性に変わった様で別人の様に輝いて見えた。彼は、私と違って、親の力で生活していない。自分に責任をちゃんと持てるのだ。色々な男の子と付き合ったりしたけど、こんなタイプの人は居なかったなぁ、、皆ボンボンで、親の力に頼ってた。
帰らないと今度こそ、面倒になりそうだったので、いつもの様に一旦帰宅して、朝方、又彼らと落ち合う約束をした。正直、可成グッタリしていたけれど、この感情が恋愛から来るものなのか、単に刺激を受けてドキドキしただけなのか見極めたかった。



朝方、待ち合わせのデニーズに着いて、一番後ろの席から両手を広げ、私を迎えてくれた海の笑顔を目にした途端、これだ!!私は、彼と再会する為に今迄の過程を過ごしていたんだ。。

海が好きだ。。

実習でこっちに戻ったのも運命だったんだ!

席に着こうとゆっくり歩きだすと、何だか知らないけど、涙が出た。まるで長い事逢えないでいた人と、やっと逢うことが出来た瞬間みたいに。。。

周りが騒ついた、「倫?どうした?パパに叱られたの?」違うと頭だけ振って、答える中々声が出ない。あんなに大勢の前で堂々と話が出来るのに。。皆が心配そうにして声をかけてくれるけれど、声が出ない。


立ったまま席に座れないで泣いている私を店員も不思議そうに見ている中で、海が言った。。


「分かったよ!倫!付き合おう!俺、倫の事好きになったみたいだ。幸せにしてやりたいって思った。倫もそうなんだろ?」

驚いた、全く同じ気持ちでいてくれた?いつ?信じられない。。

なんだ、そういう事だったんだ。と皆が、笑ってくれて、何とか席に着く事が出来た。啓太は「いつの間に?何だよ、上手くやっちゃってオレには何かないの?」と冷やかしたけど、いつの間に?って私が聞きたいよ。。不思議な感覚のままでいた。



海と私はその後10年一緒にに過ごす事になった。
沢山の犠牲者と邪悪な時間二人で、地獄を見ることになる。この時はお互いが幸せで楽しくて仕方がないくらいだったのに。。。
カイロ行き、エジプシャンエアー内では、せんだの様な濃い顔のスチュアートが目の前に座り、終始笑顔。。。拷問だ。前を向いていられずに窓へ視線を移すと、継ぎ接ぎしてある翼から剥げかかった部分が、ヒラヒラと風になびく姿が見え、こっちも拷問。。

倫「Aちゃん!前も横もキツイっす!あはは」
A「そうだわね~♪粒揃いのミツオsmileが、意味深よね?彼ら、ラマダン中らしいよ!なのに、あの笑顔はおかしいよね?」
倫「ラマダン?何すかそれ?」A「宗教の関係で、断食中って事」倫「へぇ~、じゃあ特別な期間にエジプトで過ごせるんだ、楽しみだね」


カイロの空港で、トイレに向ったMが、走って来て手を引っ張った「いいから、来てみなよ♪」
ビックリだった、十畳程のガーデニング用に敷き詰められた風、土の片隅に直径20cm程の筒状に掘られた穴があるだけ、、(10年以上前だからね、今は違ってると思いたい。)
M「私上手く命中出来たの~アハハ誉めてよ♪勿論大きい方でchallengeしたんだからっ」
倫「国際空港で、これって事は、先が楽しみだね♪最後の国だから、滅茶苦茶やろーね」


燦々と照りつける黄色い太陽を浴びながら、5つ星だと言われるHotelに着いた。バナナの皮が腐った様な強烈な臭いの中庭を過ぎ、離れで南国リゾート風の広い部屋に通されたが、Hotelマンが中々帰ってくれない、、又、ミツオsmileですか、、
チップ代わりに、私達は日本から持参していた風邪薬やら整腸剤、胃薬、頭痛薬等あらゆる常備薬を持ち帰りに荷物になるし、、って感じでゼスチャートークで、あげた。伝わったのかは不明だけど、飛び跳ねて喜んで仲間が後から後から増えて部屋には既に10人のHotelマン。。何とか、帰って貰って、明日からの散策計画を練っていると、、
トントントン。。「ストロベリーヌ!ヘイ!ミスッ!ストロベリーヌ!」
Hotelマンに名前を聞かれて、私が教えてあげた名前を叫んでる。。。
まだ、何か貰いたいんだなぁ~と思いながら、Doorを開けてビックリした。ツインのベットに乗り切らない程の長さのフルーツ盛りをさっきのHotelマンらが笑顔で持っていた。
倫「あんなの、凄い安いのに、あんた達メッチャ良い奴だね~」
エジ「これもこれも上手いよ!これは、こうやって食べるんだよ♪仲間も呼んでフルーツpartyしたらイイよアハハ」


翌朝、Hotelのロビ-で売店に入ると、私達があげた薬たちが綺麗にガラス板の上に並べられ販売されていた。(何でもありだな、、)

この日は、墓巡りと美術館前夜、鳩飯?食べて具合の悪いAちゃんはグッタリしてバス内待機。。他三人は、今まで回った国の中で一番食事が体にあって美味しかったと元気モリモリだったが、Aちゃんは、パジャマから着替えるのもダルいらしく、唸ってた。。

3月の気候とは思えない、38度を越え太陽は乾いた空気を更に焼き付けるかの様にジリジリと肌を差す、暑いと言うよりは日差しが痛い。現地の人が、目以外布で覆われた服装をしている意味がやっと判った。布で肌を隠している方が過ごしやすい。デニムを洗って朝乾して置けば、夕方には乾いている程だった。


ツタンカーメンやら宝飾品だらけの美術館では、お掃除のオバちゃまが、食器用洗剤とスポンジ、バケツを持って国宝の美術品をバシャバシャと洗ってる姿が気になって仕方無かった。

街並みはカラフルに彩られ、どの家の壁にも絵が描かれていた、現地に住む日本人ガイド曰く、その家の自慢となるものが描かれていると言う。飛行機の絵?乗ったことあるよ自慢?パイロットだよ自慢?各家の壁画は様々な想像を沸き立たせ眺めているだけで、心が和んだ。
石屋さんって言うのかな?エジプトでお守りの様な黄金虫の石が沢山ある、飲み物とかも売ってる民家にお邪魔した。出迎えてくれたのは、その店の主人と、チビちゃん二人姉妹、割合裕福なお家の子達なのだろう、身なりが可愛らしく、貴金属も身に付けていた。
石屋に興味の無かった私達は、彼女らと一時の間を過ごしたくて、くっついて回った、お姉さんの方は、おませで、私が秘密の場所を教えてあげると指先を私の口元にあて、倉庫に連れて行ってくれた。「好きなだけ持って行って良いのよ」店に並ぶ物とは比較にならない質の良さそうな天然石が瓶の中にドッサリ入っていた。。「あとで、パパに怒られちゃうよ」
「大丈夫、私のママは一番だから。。」どうやら、一夫多妻制の国ならではの発言をしてる。。
迷っている私の手の内に彼女のお気に入りが、どんどん入っていた。入りきら無い分はこの中に入れといたわ。と妹の方が私のbodyBagを指差す!!仕方ない、Bagの中身を彼女達に見せて何が欲しい?と訪ねると、化粧ポーチから、それぞれグロスと口紅を取り出した。(シャネル良くその年で、ご存知で、、汗)
記念撮影をしたけど、どっちが年上か分からないぐらいキメポーズで、底明るい笑顔で見送ってくれた。


この国の笑顔はどれも太陽のように明るく、瞳は透き通っている。日本人特有の、一歩突き出た行動や言動を馬鹿にするような事は無い。慎ましさ、恥じらい、謙虚、日本人の良さでもあるから否定はしないけれど、彼らの、素直さには心惹かれた。

お祈りの時間と重なったからと平気で二時間遅れで発車した寝台車は予定時刻ピッタリに到着するし、断食中でも、馬鹿食いしてる人もいた。特別な期間らしく夜中でも町は明るかったしあちこちから歌声が聞こえた。日本人からチップを巻き上げるのに必死なのは大人も子供も相変わらずで(彼らの生活がかかっているのだから当たり前だが)ラクダに乗れば直ぐ様「シャッター押してあげるよ」と子供が寄ってきたし、スフィンクスを背にのんびりしていると、「とっておきの場所に案内してあげる」と手を引かれ、着いて見れば、スフィンクスのオマルみたいな遺跡に座れと促され「シャッター押したげる」チップを渡さなければカメラは戻って来ない。馴染み易い私達は、持ち帰りたくない邪魔な物との物々交換で、欲しい物は楽々手にする事が出来たし、値下げさせてみると、ビックリするぐらいまで価格は下がった。


ギザの三大ピラミッドは、中に入る事が出来たし登る事も出来た。街並みから急に砂漠地帯に変わり、防弾ベストを着て銃を持った人も多い中で、想像より、丸っこく小さなピラミッドが3つ悠然とたたずむ姿は圧巻だ。色々な憶測が世に蔓延する事も実物をみると、納得だ。人間業とは到底思えない、何とも現し様のない力が、そこに確実に存在する。
いつまでも時間を忘れ眺めていたい魅力が存在する。初めから何も見ないでも、是だけ見れば、旅は満足だったと言い切れる。何なんだこれは!!


後ろ髪ひかれながら、その場を後にし、その日旅の最後を締括る、ナイル川サンセットクルーズでバナナ園に出向いた。帰りには、今迄目にしたことの無い大きくオレンジ色の太陽がこれ又広大な川に照り返されながら、沈むどんな絵画にも替えがたい姿をみた。旅の終わりを実感しながらも不思議と切なくなる様な感情はなく、寧ろ力がみなぎって、何かやりたくてはち切れそうだった。満足感を充分過ぎる程得過ぎて、心は穏やか、中には、炎のように熱くなったエネルギーが噴火を待ち構えているようで武者震いがした。



成田に飛行機が着陸し、久し振りに見た日本は、色で現すとグレー、先進国に中身がない空っぽさを感じて少し悲しかった。
父が迎えにきていて、四人一緒に車で、今回あったことを口々に話しまくった。追い付かないぐらい、皆が皆、エネルギー溢れていたようだ。私の家族は、ニコニコしながら私達の話にそれぞれ相槌うって微笑んでくれた。